というわけで自主トレはここ数日しばらくは今までと変わらずの予定です。移った先でどのような生活になるのかもわからんので。
リハビリについてはいつもの自主トレで行っている(小さめの道具をつかむ、にぎる、つまむなどして運ぶ)運動の自分の身体の左方向が目標になるもの(自主トレでは身体の右側に動かしていくものだけやりまして)
それにペグボードからペグを抜く動き、輪なげの輪を握ってポールにかけて離していく動き。
後は肩周りをほぐしていただくなど
そして古川の駅東の辺りと富谷界隈ってどんどん新しいものできてるよね、な話題と昨日の野球の反省会(要約するともはや母の眼差しで見てる限りは悲しまない)
後は古川にカルディできてほしいという謎の話題に。
よく仙台に出た帰りに泉大沢イオンのカルディ寄ったよな…的な…思ひで…ぐはっ!
↑そんな事を思い出せるようになったのも身体が動かせるようになったからなんだと思っている。
去年の今頃、リハビリを始めたばかりで自分の動けなさぶりに凹み先が見えず、それでもまたはんこを彫りたいとか講座やれるようになりたいという気持ちがリハビリをする気持ちを支えてたわけだし。
ホントに特に身体を動かす事に関してはやる気なし子だった天さんがよくもまあ耐えたなあとうっかり思うわけで。おかげ様で色んな事を(特にいろんなところに出かける事を)考えられるようになったんだよなぁと。
去年の今頃は車椅子無しの生活になる事はまだまだ正直考えられなかったし装具を作るために型取りしたのが去年の昨日でその時には装具を作る意味もわからないほど身体が動かせない事で凹んでて。それでもそうでなくても悲しい気持ちになるからせめて他の人が居る前では楽しくしていようと思っていて、それは今も対して変わってなくて。これからもたぶんずっとそうなんだと思うけど。(これから新しく移るところについては明日以降に詳しい事がはっきりするので今のところなんとなくボワーンとした書き方しかできないけれど)見通しがはっきりしない物事ってホントに精神的にきます。
がんばれって言われても何をどう具体的にがんばればいいかわからない「がんばれ」ほど毒があって。
それだったら「〇〇をがんばってね!」と言われる方がまだマシで(その目標が遠すぎるならそのための手前の小さい目標に噛み砕く必要が出てくるし、物理的に難しいものかどうかって場合は無理ッスよって言えるもの)
なかなかしんどい事も自分で体感したし。
この一年で学んだ事ってその辺を噛み砕く必要性とコレならてきるんじゃないのかのトライ・アンド・エラーだと思ってる。それはこれからも一生色んな分野について起こるのだろうし、またそうじゃないと生きた意味もないのかなと思ってる。
リハビリの時間の中だとくだらない話をする事も多いのだけどリハビリの振り返りや自主トレの時間って意外と真面目な事を考えているんですよ。ポンコツなりに。