一日仕事を休んで

翌日わたしはいつも通りに仕事に行きました

 

信号は

国道は復旧していました

 

倒木や冠水で通れない道を避けて

何とか仕事にも行けました

 

仕事場は停電がなく無事な地域でした

 

仕事場の人の中には

自宅の屋根が壊れた人

水も電気も止まっている人もいて

被害にあっている人がたくさんいらっしゃることに

改めてこの台風の大きさを知りました

 

被災した人、大丈夫だった人

ある意味明暗分かれたという状態で

 

人はどんな思考をするのか

 

とても興味深い反応が起こりました

 

 

被害にあっていない人の反応が面白かった

 

停電している私を

気の毒がる人

平気っぽく見える私を凄いという人

次に備えて買っておくものを考えてる人

 

人は人を見て

優劣を感じたり

比べているんだということです

 

フラットであったはずの

私にも

被害にあっていない人との

比較が起こりました

自分は良かった、としみじみ言う人に

悪意を感じました


 

 

 

面白い展開です

自分と対比するものが現れたと感じた時

心のフォーカスが外を見ている時

 

停電しても心は穏やかだった自分が

途端に

自分の内なる安らぎを

手放してしまったのです

 

「分離」です

 

本当の自分の

内なる安らぎは

安らぐための条件を求めません

外にない

内にあるので

外を見てどんなにざわついても

内を見る目に切り替えれば

そこに安らぎがいつもあるのです

 

 

 

また

よくよく見てみると

 

不安や嫌な思いって

目には見えないし

形がない

 

つまり私が

頭(思考)のイメージの世界で

観ているだけの幻想なのです

 

(漢字も「見ている」ではなく

ただ鑑賞しているので「観ている」の字です)

 

 

さらに

仕事の帰りに

湧き水が出る水くみ場に立ち寄ったときのことです

 

いつもよりもたくさんの人が

水を汲みに来ていました

 

水くみ口が3つあるうちの

2つを独占して

我先に、と汲んでいるおじさんがいました

 

順番や分け合うことなどよりも

誰かに取られてたまるものか、

といった

守りのエネルギーがひしひしと感じられました

 

一緒に来ていたそのおじさんの奥さんが

他の人に一つ汲み口を譲ったら?

という言葉も無視して

必死にしがみつくようなその姿に

周りの待っていた人は

何も異議を言わずにいました

 

残りの一つの水くみ口は

次々に譲り合って進んでいます

 

その水くみ口に

おばあさんが立った時に

おばあさんは誰にともいわず話し始めました

 

「水が出んから

家中にあるペットボトルさ持ってきたわ

水が出んからお茶も入れられんからね」

 

そのおばあさんは

明るく笑いながら500ミリのペットボトルを

たった4本入れていました。

 

その場の

空気が一変しました

 

3つあるうちの水くみ口を

2つ抱えるように占領していた

あのおじさんが

 

後ろで並んでいた私に

「ほら、ここどうぞ」と言い

 

「水も止まってる人もいるんだから

家はまだましだわ。電気も水もガスもある」

 

 

 

その後は

 

坦々と譲り合って

 

ここの場所の昔話だとか

市の水質調査が入ってたよとか

地元の人は

みんなここの水はどうかわからんねって

言ってたんだけど

水がねえから

今日初めて水くみに来たんよとか

色々話が知らない人同士

飛び交う場にもなりました

 

内なる安らぎと一致していた

 

おばあさんのエネルギーに

 

内なる安らぎと分離していた

水くみに追われた人の心が

 

次々と塗り替えられていく広がりを観ました

 

 

 

そして

わずかでも

そのおじさんにジャッジをして

自分も不機嫌(内ある安らぎと分離)になりかけていた自分も

しっかり感じました

 

 

いつも

自分だけが自分を安らぎに導くことができるんだ

 

 

水くみ場で

笑ったおばあさんの豊かな姿が

そう教えてくれた気がしました