#280 付き馬に付き馬が付く ~「付き馬」~ | 鑑賞歴50年オトコの「落語のすゝめ」
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鑑賞歴50年オトコの「落語のすゝめ」

1956年に落語に出逢い、鑑賞歴50余年。聴けばきくほど奥深く、雑学豊かに、ネタ広がる。落語とともに歩んだ人生を振り返ると共に、子や孫達、若い世代、そして落語初心者と仰る方々に是非とも落語の魅力を伝えたいと願っている。

酒の勢いで無一文なのに吉原遊廓へ上がり、大散財した男がいた。翌朝、店の若い衆に勘定を請求され、「実は無一文だ。知り合いのおじさんに金を拵えて(こしらえて)もらうから付いてきてくれ」と言って廓を出る。朝湯に入り、迎え酒を一杯やって、勘定は付き馬の若い衆に立て替えさせる。

 

付き馬を通りの角に待たせておいて男は道の向う側の早桶屋へ入る。まったく見ず知らずの家だが「おじさん!」と付き馬に聞こえるように大きな声で気安く呼び掛ける。怪訝そうにしている早桶屋に、「あの通りの角に待たせている男の兄貴が夕べ腫れの病で急死しました。肥っていた上に腫れの病で死んだので普通の棺桶には入れられません。ずば抜けて大きい棺桶を急いで作ってほしいんですが、拵えてくれますね」と最後の部分だけ大声で言う。早桶屋が頷くのを付き馬にも見させておいて付き馬の傍へ行き、「おじさんが拵えてくれると言っていますから“出来たよ”と言うまで黙って待っていて下さい。私はちょっと行く所があるので先に失礼します」と言って無一文男は走り去って行った。

 

棺桶を勘定と勘違いした付き馬が早桶屋へ行く。「大丈夫ですか?」「大丈夫です、引き受けました。拵えてあげますから安心して下さい」「では待たせてもらいます」。中で小僧が仕事に掛り、特注の棺桶が出来上がる間、早桶屋は死人の昨夜の様子を訊き、付き馬は無一文男の昨夜の様子と思って答えるというチグハグな会話が玄関先で行われ、笑いを誘う。

小僧が中から“出来上がりました”と言う。「おお、そうか。お待たせしたね、出来ました。どうやって持ち帰られます?」「はい、懐に入れて」「!? 棺桶ですよ」「そんな物、注文した覚えはないよ」「先程のお連れさんが注文していかれましたよ。あなたのお兄さんが亡くなられたのでしょう?」「兄なんかいませんよ」。“拵える”対象物が違っていたことに付き馬はやっと気がついた。「騙されたのです」と付き馬は自分の出費の大きさを考えてしょげかえる。「それはお気の毒です。特別サイズの物で他には転売できない代物だから材料費だけでも払って下さい。手間賃はおまけします」と早桶屋は言う。「湯銭や迎え酒代などを立て替えさせられて、懐はすっからかんだよ」と付き馬が答えると「なに?銭がない?小僧、吉原までこいつの馬に行ってこい!」。

付き馬に付き馬が付く「付き馬(つきうま)」という洒落た廓噺である。廓で遊んで金が足らなかったり一文無しであったりした場合は、翌朝、店の若い衆(若者という意味ではなく、雑用係である年寄りの店員)が客に同道して家などへ料金を貰いに行くことがよくあったようで、この若い衆即ち集金人を“付き馬”と呼んだ。

言葉、会話の行き違いで笑いを呼ぶという落語でよく用いられる手法で、こういう噺はテンポの良い三代目三遊亭金馬の一席が安心して聴ける。「早桶屋」という別題もある。早桶屋というのは棺桶を作る職人ではなく、葬儀屋というイメージである。

 

“付き馬”は正式名を妓夫太郎(ぎゆうたろう 通称ギュウ)と言った。元々は吉原行きの客目当てに浅草に拠点を置いていた馬子たちが廓の楼主の依頼を受けて、客を馬に乗せて(つまり馬を付けて)自宅などへ同道して集金を代行したのが始まりであった。ところが馬子が、集金した金をごまかすケースが多発するようになり、店員の若い衆が付き馬になるようになり、馬はいなくなったが名前だけ残ったという説が伝わっている。

付き馬は「突き落し」(上方では「棟梁の遊び」)にも登場するが、ここでも散々な目に遭わされている。余程、廓客に憎まれた存在であったのだろうか?

 

 

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