#279 潔く死出の旅に出る男 ~「旅は道連れ」~ | 鑑賞歴50年オトコの「落語のすゝめ」
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鑑賞歴50年オトコの「落語のすゝめ」

1956年に落語に出逢い、鑑賞歴50余年。聴けばきくほど奥深く、雑学豊かに、ネタ広がる。落語とともに歩んだ人生を振り返ると共に、子や孫達、若い世代、そして落語初心者と仰る方々に是非とも落語の魅力を伝えたいと願っている。

 7年ぶりに上方から江戸へ帰る途中の新次郎が箱根の山中に差し掛かった時、見知らぬ男が「私は閻魔の庁の小役人です。寿命の尽きたあなたを迎えに来ました。同道して下さい。この谷底に地獄があり、閻魔の庁へ通じています」と言う。新次郎は信じられない思いで「えッ!本当ですか? まだ若い私がもう寿命ですか?何かの間違いでは?」「いえ、間違いありません。『新次郎、元雪駄作りの腕の立つ職人、親方の娘・お房といい仲になったが仲間の和吉の巧言令色に騙されて心変わりしたお房に振られて上方へ行く。その際、旦那寺の和尚から10両借りた。それを元手に上方で悪質な商売をして大儲けをした。よって地獄へ呼ぶものなり。閻魔大王』とある」「よくご存じで」「なにしろ“閻魔帳(えんまちょう)”ですから」「…、わかりました。でも私、江戸へ帰りたい訳があるのです。一つは和尚に借金を返したいこと、もう一つは今は和吉の女房になっているお房に金持ちになったところを見せて見返してやりたいのです。その上で地獄へ同道します」「よし、わかった。借金返済は閻魔様も認めています。江戸へ行きましょう」。二人はもう亡者となっているので関所の役人には姿が見えず、難なく江戸へ入ることができた。

 

新次郎は、地獄の小役人は生の牛肉が大好物であると以前、何かで読んだことがあった。それに、小役人は道々、「のんびり暮らせる極楽へ行きたい。それには寺へ多額の志納金を納めなければならないので俺には無理だが」と漏らしていた。新次郎はまだ命が惜しかったので、小役人を買収して生き返ろうと決意した。「お役人様、あなたに生の牛肉をご馳走し、極楽へ行けるよう寺へ志納金を納めて上げますから、私を生き返らせてくれませんか?」「出来ない相談ではないが、数合わせをしなければならないんだ。お前の身代わりにする同い年の男を知らないか?」「和吉が同い年です」「よし、決まった。俺に任せて成り行きを見てろ」と相談がまとまった。

 

和吉の家を新次郎と小役人が覗いている。和吉が作った雪駄の出来が悪いと問屋から文句を言われたとお房が和吉に苦情を言っている。和吉は元々から口先は上手いが腕の悪い職人であった。「もっとしっかりしておくれよ」「後悔してるんだろう?俺と所帯を持ったことを。別れたっていいんだよ」「私ッてあの時魔が差したのね」「今頃、新次郎が恋しくなったのか? いつだって別れてやるよ」と遂には夫婦喧嘩となり、お房は泣き出す。“今頃になってやっと和吉の本性に気付いたか、ざまあ見ろ”と新次郎は内心でほくそ笑んだ。

 

和吉はぷいと家を飛び出し、むしゃくしゃした気持ちで通りを歩いていた時、侍にぶつかった。侍は有無を言わさず「無礼者!」と即座に無礼討ちにし、和吉は即死した。これが小役人の代替のシナリオであった。ところが和吉の死を知ったお房は侍に取りすがり、「あの人が死んだのでは生きていても仕方ありません。私も殺して下さい」と哀願した。人を斬って興奮状態にあった侍はお房も斬り殺した。これには新次郎は驚いた。「お房だけ生き返らせて下さい」「それは私にはできぬ。お房の死はシナリオになく、閻魔様の管轄だ」。新次郎は諦め顔でお房の死顔を見つめた。笑みをたたえた穏やかな満足気な顔であった。お房は和吉を本当に愛していたことを知った新次郎は自分の負けを認め、潔く死を選択し、小役人と地獄へ向かうことにした。シナリオを元に戻したのであった。お房と和吉は生き返った。

 

「さあ、地獄へお供します」「生の牛肉がまだだよ」「閻魔様がお待ちかねだ」「私も御伴しなければなりませんか?」「当たり前だ、旅は道連れだ」。

劇作家・榎本滋民(えのもと しげたみ)作の「旅は道連れ(たびはみちづれ)」という聞くことの少ない人情噺で、恋愛をテーマにした味わい深い文芸作品である。同氏は落語の研究者でもあったようで、著作が数点あるようである。

筋書きは初代金原亭馬の助の高座に依った。彼のために書き下ろした作品かと思う。名前は“新次郎”、“和吉”、“お房”を当てたが原作と違っているかも知れない。

最近はストーカーだとか逆恨みだとか陰湿な事件を引き起こす男性が多い中、この噺の新次郎には潔さはもとより爽やかさも感じさせられる。榎本氏も新次郎に望ましい男性像を見たのではなかろうか。

 

(箱根旧街道 2016

 

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