#278 宣伝会社で生計を立てた父子 ~「高田馬場」~ | 鑑賞歴50年オトコの「落語のすゝめ」
新型コロナウイルスに関する情報について

鑑賞歴50年オトコの「落語のすゝめ」

1956年に落語に出逢い、鑑賞歴50余年。聴けばきくほど奥深く、雑学豊かに、ネタ広がる。落語とともに歩んだ人生を振り返ると共に、子や孫達、若い世代、そして落語初心者と仰る方々に是非とも落語の魅力を伝えたいと願っている。

インターネットは調べものをするのに便利なツールとして評価して来たが、このところ矢鱈と広告が多くなり、検索スピードが遅くなってきたと同時に買う方向に誘導されそうな気がして怖くなっている。商品名が変わるだけのワンパターンが多い通販のテレビ広告にも辟易しており、スマモも要らぬ広告が飛び込んで来て煩わしい。今の世の中、広告と引き換えに無料のツールや利便性が提供されている感が強い。これからも拡大して行くのであろう。有料でもいいから広告のないツールを指向したいという思いになっている。

さて、江戸時代に既に宣伝業を興していた武家一家がいたという噺を聴いてみよう。「高田馬場(たかだのばば)」という滑稽噺である。

 浅草・奥山でガマの油売りの大道芸を演じていた一組の若い男女が一人の老武家の刀傷(かたなきず)に目を留めて名前を訊く。老武家は岩渕伝内と名乗った。名前を聞いた二人は「我々は二十年前、我らが母に懸想した貴様に父を討たれた遺児の兄妹である。大道芸で各地を転々としながら貴様を探していた者だ。父の仇、おとなしく討たれよ!」と顔色を変えて抜刀する。たちまち周りに人垣が出来る。老武家は落ち着き払って「討たれてやりたいがやり残したことがある。明日まで待ってくれ。明日正午、高田馬場で仇として討たれよう」と言う。大道芸人二人はこれを信じて日延べを了承し、老武家は去って行った。

 

(隅田公園浅草側・東京 2007年)

 

翌日、高田馬場は仇討を見ようと大勢の人が出て、普段は閑散としている茶店が軒並み大繁盛となっている。だが、正午を過ぎても兄妹の姿はなく、仇討が始まらない。野次馬の一人が、一軒の茶店の片隅で一杯飲んでいる昨日の老武家を見つけ、「仇討はどうなったんです?」と訊くと、「あれは芝居じゃよ。あの二人は拙者の息子とその嫁じゃ。仇討を予告したことによって人が大勢集まり、大儲けとなる茶店から2割のマージンをもらうことを商売にしている仲の良い3人家族じゃよ」。

 

一般題を「仇討屋(あだうちや)」という。浅草の奥山は宣伝するまでもなく人出の多い場所であるから宣伝効果はないと言ってもよい。それに対して高田馬場は田舎で人出も少ない。従って、宣伝効果は大きく、父子3人の場所選定は適切であったと言えよう。ただ、高田馬場は堀部安兵衛の仇討で名高いという意識もあったことは否定できない。

 

 

にほんブログ村


落語ランキング