#124 童心に戻った父親 ~「初天神」~ | 鑑賞歴50年オトコの「落語のすゝめ」

鑑賞歴50年オトコの「落語のすゝめ」

1956年に落語に出逢い、鑑賞歴50余年。聴けばきくほど奥深く、雑学豊かに、ネタ広がる。落語とともに歩んだ人生を振り返ると共に、子や孫達、若い世代、そして落語初心者と仰る方々に是非とも落語の魅力を伝えたいと願っている。

落語では初詣を題材にした噺は聞いたことがないが天神さんへお詣りする「初天神(はつてんじん)」という一席がある。天神さんの縁日は毎月25日で、特に新年最初の縁日は“初天神”と呼ばれ、今では受験生の合格祈願も加わって大勢の人出があるようである。

 

 一人の男が初天神へ行こうと準備をしていると、7,8歳になる倅が連れて行ってくれとせがむ。一緒に出掛けるといつも「あれを買ってくれ、これを買ってくれ」とおねだりをされるのが嫌で断るが、「夫婦の内緒話を近所に言いふらす」などと脅されて仕方なく連れて行くことにする(おませな倅の様子が演者によって様々に演じられ、笑いを誘う)。

 
 

参道には露天商が沢山出ている。始めの頃は大人しくしていた倅だったが、「良い子だったでしょう。ご褒美に飴を買って」とねだり始める。父親が指に唾を付けて飴玉を選るので露天商に文句を言われながら飴を買ってやる。「噛まずになめなめしろよ」と時間持たせを計るが、すぐに「飴を落とした」と倅が言う。そこらを探すがどこにもない。訊けば、「飲み込んだ」と言う。次のお菓子を買ってもらおうと考えた倅の方が一枚上手であった。

 

 次いで、みたらし団子をせがまれる。「なんでこんな所に店を出しているんだ」と店主に文句を言いながらもこれを買ってやることに。先に父親が団子の蜜を舐めた後、蜜つぼに付け直して倅に渡し、倅も真似をして蜜を付け直して露天商を困らせる。
 

お詣りを済ませての帰途、今度は凧を買ってくれとせがまれる。凧と糸それにうなり(・・・)を買って広場で凧を揚げるが、父親の方が童心に帰って夢中になり、倅に揚げさせようとしないので倅がぼやいた。「こんなことならお父ちゃんを連れてくるんではなかった」。 

 

 この「初天神」という噺の舞台は東京では亀戸天神、上方では大阪天満宮とされている。大阪天満宮の初天神へ一度行ったことがあるがさほどの人出ではなく、露店も一軒出ているだけで、期待が裏切られた思いであった。私が訪れた時、ちょうど“福玉投げ”のセレモニーが行われていた(写真)。 

 

 

  私たち年代の正月の遊びは屋内では双六、かるた、福笑いであり、屋外では独楽回し、凧揚げ、羽根つきであった。こうした正月固有の遊びは今ではほとんど観られなくなったが、孫と凧揚げをすることがあれば、この噺の父親同様、私の方が夢中になることであろう。

 

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