鑑賞歴50年オトコの「落語のすゝめ」

1956年に落語に出逢い、鑑賞歴50余年。聴けばきくほど奥深く、雑学豊かに、ネタ広がる。落語とともに歩んだ人生を振り返ると共に、子や孫達、若い世代、そして落語初心者と仰る方々に是非とも落語の魅力を伝えたいと願っている。


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  サイコロと言えば博打を連想するが、その考案者は正反対にいる聖人であったと知ったのはサイコロ賭博をテーマにした落語「看板のピン」であった。

 

 若い衆が集まって暇を持て余している。そこへ昔は遊び人でならした隠居がやってくる。「隠居さん、ちょうどいいところへ来てくれました。ちょっと手慰みに“ちょぼ一(壺の中に入っている一つのサイコロの目を当てる賭博)をやりてえんですが胴元を取る奴がいなくて困っているんです。隠居、胴を取ってくれませんか?」「てめえら、寄ると触ると博打ばっかりしやがって、いい加減に止めろよ。まあ今日は特別だ、胴を取ってやろう。但し、1回きりの勝負だ。20年ぶりに持った壺だがいいもんだな。さあ張りな」と壺を振る。一同が見ると、ピン(一)の目が出たサイコロが壺の傍に落ちている。「隠居、ちゃんと伏せてくださいよ」「伏せてるよ、構わねえから張れ」。隠居も耄碌したもんだと、「いいんですね?」と念を押しつつ全員「一」に持ち金全部を張る。中には褌の中に隠していた金を急いで取り出して「一」に張った者もいた。

 「皆、張ったな。じゃあ、この“看板のピン”はこっちにしまってと」「何です? “看板のピン”てえのは?」「見えてるサイコロは看板で、勝負は壺の中のサイコロだ。俺のにらんだところでは中は『五』だ」と壺を開けると果たして『五』の目が出ている。「博打というものはこんなもんだ。“場で朽ちる”と言うくらいだから、もう止めにしろよ」と全員に賭け金を返してやる。

 この恰好良さに感心した一人が他所の仲間の所へ行ってこの真似をする。胴元を志願し、“看板のピン”を置いて親分と全く同じことを言って張らせる(この件が笑いを誘う)。

 全員が「一」に張ったところで、「さて、この“看板のピン”はしまってと。俺のにらんだところでは中は『五』だ」と壺を開ける。「うわー!!、中も『ピン(一)』だ」。

 洒落た小品で、「看板の一」と表記されることもある。

 

 この噺のマクラでサイコロの起源について触れている。何とサイコロの考案者はお釈迦さまだと言う。釈迦は仏教の布教に努めたが難しい話に中々人は集まってくれなかった。そこでサイコロを考案し、博打を開催して多くの人を集めて説法したという。博打を行うことをご開帳といい、主催者を胴元(堂元)、場所の借り賃を寺銭、負けてすってんてんになったことを「お釈迦になった」というようにお寺と博打の関係は深いと言う。博打と釈迦、余りにもマッチしない話に驚いたがどうやら本当のことのようである。釈迦も人の子であったかという親近感を覚える。

 サイコロを2つ使う“丁半”がよく知られているが、この噺や「狸賽(たぬさい)」ではサイコロを1つ使ったものである。この他にも3つ、4つ、5つのサイコロを使う賭博があるそうである。そしてピンが赤いのは太陽を表しているとも言う。

子供の頃、双六などに明治サイコロキャラメルをよく使ったことを思い出す。サイコロの中に大粒のミルクキャラメルが2粒入っていて、それを食べながらゲームに興じたものであった。

 

 


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