落語であなたの人生をナビゲート!〇ら落語コンシェルジュ®相山美奈子です。
このブログを一般公開するのすごくこわい。ドキドキしている。最初はオンラインサロンだけにしようと思ったけど、思いきって出します。
別に批判しているのではありません。私の思うことです。
志の輔師匠の落語、お見事でした。素晴らしかったです。それは本当。
でもNHKの長寿番組をやっているとこうなるのかなとも感じた。
彼の落語は面白く、世相も入り、庶民の気持ちもわかり、毒もあり、優しくあたたかく
観客をとても酔わせてくれる。帰り道もその余韻に十分に浸れる。なにより、立川志の輔という人を70人だけで聴くというこの贅沢!それだけでも価値がある。
私はこの人の落語をたくさん聞いていない。だから知らないともいえる。
最後は上手いより、好き嫌いになるので仕方がないと思っている。
あそこまでできる人はそうそういない。1000人いる落語界であれだけできる人は20人もいないだろう。
でも、肚の奥深くまで響かないのだ。
楽しい最高!で終わる。もちろんそれは悪くない。落語は気楽に楽しむもの。
立川談志という人は違った。
いつも「お前はどう思っているんだ。お前はそれでいいのかい?お前の基準は?」と落語の後にいつも考えさせられ、時には喉元にナイフを突きつけれられるような気持ちになった。
あの頃私は、もっともっと真剣に落語を聴いていた。ひとつひとつの噺と対峙するような気持ちだった。
立川談志という人は、人を緊張させる。相手が観客でもだ。
出囃子(落語家が登場するときのテーマソングのようなもの)で木賊狩りが響き、家元が高座の袖から顔を出す。それだけで客席に緊張が走った。当時お元気だった家元は、気分を損ねると帰ってしまう。一気に「ドキュメント談志が帰った夜」になってしまう。そうならないように緊張してものすごくいい子になって椅子に座っている。座布団に座り、おじぎをして、にっこり笑う家元を見て、やっと安堵する。でもまだまだ気は抜けない。これから家元と私たちの無言のラリーが始まる。
毒舌で世相を斬り、談志ロジックで全てを分析する。私はその時間がたまらなく好きだった。人生を教わっている気持ちだった。家元が軸だった。
落語を聴きに行くより、まくらを聴きたい、立川談志という人に会いに行っていた。
全ての疑問を解くために。
「田能久」という噺がある。うわばみに命を助けもらった久兵衛は、里人にうわばみの弱点を話して退治をするシーン。
この時家元は私たちに「こいつの芝居を観たいと思うかい?」
きょとんとする観客。
「俺だったら嫌だね。命を助けてもらったんじゃないか。それを・・・」と始まって、また落語に戻る。これはカルチャーショックだった。落語の登場人物をここまで考えているなんて!
それ以来、なんでもこれは本当かな?と見る癖がついた。
今そこまでの想いや考えを話し、観客に問う人がいるのだろうか。
立川談志が突然変異の天才なのは知っている。他の落語家さんや、お弟子さんがそちらに行かないのを知っている。(立川流は全員聴いたが、今を始終聞いているわけではないので違う人がいたら教えて欲しい)師匠とは違う別の解釈をしたいんだろう。
だから違うところから攻める。
あの時のあの想い、
落語から人生を考えさせられる問いが私は嬉しかった。
落語家全員を聴いた訳じゃないから違うかもしれない。でも現役の落語家でそれ以上の人に出会っていない。
(いや違うよ、〇〇さんがいるよというならぜひ教えて欲しい)
なんとなく志の輔らくごと、TVの司会と結びつく。
志の輔師匠に文句を言っているわけじゃない。落語界を牽引しているベスト3に入る人だ。観客動員数は家元を超えていると思う。
(昔はそんな大きなところで頻繁に落語をやらなかった。1か月公演なんて歌舞伎や芝居のすることだと思っていた)
家元ができないレギュラー番組も長寿になっているし。(家元は過激なこと言うし、遅刻もするからレギュラーが長続きしなかった)
これは私の好みだ。でも肚の響き方が違う。
談志は理屈っぽいから嫌いだと聞く。気楽に楽しませてくれないから。
私はそこが好きだった。
だから楽しかったけど、あの時の刃物を突きつけれられるような問われ方はもうないのかな、と少し寂しく思った。
でも久しぶりに、それを気づかせてくれた志の輔師匠にはとても感謝しています。
長文読んでいただいてありがとうございます。ぜひご意見ご感想をお聞きしたいです。
よろしければコメント欄にお願いします。私がかなり偏った考えなのは知っています。