半額シリーズのトリはなぜか

わびさび感じる白ワイン。

口をつけると、どうしてか秋の終わりの海が浮かんできた。











観光客もまばらな寂れた海辺、間違えて祝日に来ちゃった学校の

ように居心地悪く佇む古びた旅館。


そんな情景を描くのは、ワインなのに、どこか演歌の世界。


そう、これは昔、婆ちゃんがテレビで聴いてた“演歌”の世界観。

なぜだろう、このワインを口にしたとたん、演歌が恋しくなった


初めてだよ

ワイン飲んで、演歌かけたくなったのは。


演歌と言っても美空ひばりと氷川きよししか知らないけど、

とりあえず “川の流れのように” を流してみる。


……合う。


切なさの重なり合い。

ワインの乾いた果実味が、演歌の乾いた情念と響き合う。

どちらも湿っぽくないのに、なぜか涙腺にじんわりくる。


飲み終わったあと、自分は今、人生という壮大な長い旅路のどこかにいたんだと

痛いワードが頭に浮かぶ

これは演歌によるものか、酒と夜のテンションによるものか


思わずもうひと口。

飲むたびに、時間の流れが少しゆっくりになる。

冷蔵庫のうなりも、夜の静かな雑音も気にならなくなる。

ただこの一杯と、美空ひばりの声と、自分だけ。


やがて曲は終わり、余韻だけが部屋に残る。

ワインもカラに近づき、なんだか妙に満たされた気分。


そういえば、このワインってニュージーランド産だった。

でも不思議と心は、昭和の港町にいる。


地球の裏側のワインが、

演歌と出会って、こんなにもしっくりくるとは。


たぶんこれが“わびさび”なのかもしれない。

湿ってないのに、しみる。

シンプルなのに、深い。

ちょっと笑えるのに、なんか泣ける。


ものごころついた頃には美空ひばりや昭和は過去の遺物になっていた

昭和の記憶なんてものはない


それでも、昭和の港町に、心が勝手にタイムスリップする。

妙に落ち着く。


色褪せた看板、ちょっと錆びた、缶ジュースばかりの自販機、

くたびれた旅館の帳場には、黒電話と日めくりカレンダー


そこに、たとえば石油ストーブの匂いとか、

ブリキの風鈴の音とか、

もう存在しない記憶が、なぜかリアルに香ってくる。



“本当にあったかどうかもよく知らないのに、恋しくなる風景”

日本の原風景とか言われる白川郷のような

存在しないはずの懐かしさを感じる


それがこのワインを通してふいに現れるから、たまらない。

飲んでるのはニュージーランドなのに


脳内では“昭和の港”っていう名の映画が始まってる。

それも古いビデオテープの粗い画質でだ


主題歌はもちろん演歌。

主演は誰かわからないけど、

港の灯が似合う、背中で語るあの人たちだ。


昭和の港町に、心がすーっと引き寄せられた。



なぜかこのワインを飲んでると、

頭の中に、波の音と演歌と、謎の女将のいる旅館が出てくるんだ。

いつのまにか、謎の女将まで


ロビーには黒電話。

なぜかまだ“回す”タイプで、俺には使い方が分からない

カレンダーはたいてい昭和62年で止まってる。

テレビは白黒で、映ってるのは大相撲。


隣の部屋からは、演歌。

しかもカセットテープ。A面終わったら手動でひっくり返すタイプ 

もうやめとこか


このシャルドネ、ドライで乾いてて、花と砂のニュアンスもあるのに、

感情の奥のほうだけしっとり濡らしてくる。

まるで「情緒だけ狙い撃ちしてくるタイプの刺客」。


「なんで演歌聞いてるんだよ」って自分でツッコミながら、

なぜか止まらない再生ボタン。

美空ひばりがもう、グラスの中で歌ってるレベル。


気づいたら真夜中だった

飲み終わったときには、

「旅館の帳場で女将に人生相談してたらいつの間にか夜明け」みたいな気分。


なんだよこの長文


演歌とワインのペアリングは

予想外に情緒の沼にはまる


#シャルドネ #演歌とワイン #ロピア