作品の投稿。 -2ページ目

作品の投稿。

今は作った漫画の投稿を主にしています。
たまに作った曲をアップします。

これについては過去にも別サイトで書きましたが、被災者のことを気遣ってあまり表沙汰にするのを避けてました。
内容については、「考えすぎだ」とか「偶然だろう」と言われればそれで終わってしまう話なのですが。
僕が地震の共通点を見出したのは阪神大震災を体験したのを機にでした。
今は北海道に住んでますが、阪神大震災が起こった際には大阪に住んでいました。

当時、TVを点けた時には「阪神大震災」という言葉や字幕は使われてませんでした。
よく目に飛び込んできたのは「神戸」という文字ばかり。
どのチャンネルを回しても「神戸」「神戸」「神戸」「神戸」「神戸」…
どうも引っかかる。
なぜ「神戸」なのか…
なぜ「神戸」と呼ばれる地域に地震が起こったのかがヤケに気になりました。
なぜ地震が起こった地域が「神戸」と名付けられた地域だったのか。
なぜかはわかりませんが、「地震」と「神戸」という言葉に何らかの因果関係がある気がしてなりませんでした。
地震とは人間の力で引き起こせる災いじゃない。そう、天災と呼ばれるもの。
地震が人の仕業ではないとしたら、神の仕業ではないか…、そう仮定してみました。
神戸……神の戸。
単純に考えて…神が戸を叩いた。
もしくは神の戸を何者かが叩いた…まさか?!

神戸はあくまで被害が大きかったから大々的に取り沙汰されていたわけで、実際の震源地は淡路島付近だし、別に地震が起こってから「神戸」と名付けられたわけでもありません。専門家に言わせれば「何言うとんねん、アホか」で片付けられてしまうでしょう。
神が戸を叩くことによって、もしくは神の戸を何者かが叩くことによって地震が起きた。
単純にそう考えて一応は落ち着くことにしました。

でもやっぱりやたら気になる。
「関東大震災」を考察してみました。
これに関しても、なぜ関東に地震が起きたのかが気になりましたね。
街は単純に平野に造られるもの。関東平野の街が被害を被ったのだから「関東大震災」と呼ばれたのでしょう。
「関東」といえば「東京」。
「東京」は昔、「江戸」と呼ばれていました。
そう、これも「神戸」同様、「戸」が付きます。
そうなってくると「戸」と名付けられた地域には多大な地震被害にあっているという疑惑があやしくなってきます。
神戸の時のように「神がどうのこうの」とかを一切関係なしで「戸」だけで考えると。

鳥取でも地震が起きてます。近くには瀬戸内海の「瀬戸」があります。
そんなことを言い出すと「青森」には八戸、五戸、三戸と「戸」だらけ。
いや、よく調べてみると青森は過去に「十勝沖地震」と呼ばれる地震が何度か起こっているからやっぱり合っているのか?!
しかし新潟中越地震の場合、新潟には「戸」のつく地名がないため説明がつかなくなります。

でも、この法則は「当たらずとも遠からず」じゃないかとも思いました。
なぜなら地震が発生した主な外国を考えてみましょう。
「トルコ」「インド」「インドネシア」「スマトラ沖」「ニュージーランド」「トンガ」
そう、お気付きの通り、「ト」とか「ド」と発音する字が含んでいるではありませんか。(主にアジア)
つまり話をまとめると、「ト」もしくは「ド」と発音され得る言葉(文字)を含んだ地域に地震が発生しているといえるのではないでしょうか。
新潟中越地震の場合、新潟には「戸」のつく地名がないけど近くには「佐渡」があります。
「サド」の「ド」が。

うーn、やはり強引すぎたか。

地震は入り組んだプレートがボヨヨンと跳ね上がるから起こる、そう言われれば元も子もないですが…

それから僕は詳しくは調べていませんが、皆さんもネットで過去の地震を見てみてはいかがでしょうか?
過去に起きた「東海地震」(トウカイ)「十勝沖地震」(トカチ)「鳥取地震」(トットリ)など、あやしいの、結構ありますよ。
東日本大震災も当初は東北地方太平洋沖地震(トウホクチホウタイヘイヨウオキ)と呼ばれてました。

昔の人は地名を名付ける時、地震に対する何らかの(第六感)意識が働き、「ト」や「ド」と発音する文字を無意識に使ってみせたのではないかと僕は思います。(やっぱり考えすぎか?!)
数十年に一度起こる地震の周期を遺伝子に記憶し、起こり得る災害を想定して未来の子孫に何らかのサインを送ろうと込めた願いが、永久に呼ばれる地名に反映させようと働いたのではないでしょうか?

そして最近注目されている「南海トラフ」の「ト」。
これは一体・・・・


しかし“トラフ”は地名じゃなく“溝”という意味なのでした。
んー・・・・
近年、いじめられて自殺する人が多い。
それはどうしても若い奴らばかりだからそういう空気になってしまうのだとしか考えられない。
学校は処刑する場所じゃなくて勉強するところ。
無知な若者にはそこんところの認識は無理なのかな。

よく白熱した議論などで”あなたは義務教育からもう一度やり直した方がいいよ”っていう捨て台詞をたまに見るが、それを本当に実行できるシステムがもしあったらどうか。
別にそう言われるからすべきっていうわけじゃないけど、通学路安全見守りをする老人達がいるならさらにその延長で校内におじさんやおばさんたちを配置し共に生徒として授業を受ける。
学校側や国は、学歴のない大人に学費とかサービスして学校へ在学しやすいようにすればいいんじゃないだろうか。
当時事情があって高校へ行けてない大人。
昔と今でどう変わったのか、もう一回義務教育を受けてみたいという物好きな大人。
募ればけっこういると思うし、クラスにそういう大人が2~3人いればちょっとは変わるんじゃないだろうか?
むしろそういう人たちが社会の酸いも甘いも濃厚に体験していれば若い生徒たちにとって模範となるはず。

きっと生徒たちは『この人は何を経験してきたんだろう?』と少しでも疑問を抱くはず。

なるべく壮絶な人生を遂げた大人がクラスの生徒となって椅子に座り、
『いじめはダメだよ。それによって私はいまだに罪悪感が‥‥』とか
『ネズミ講はダメだよ。それによって私は友人を‥‥』とか
『ギャンブルはダメだよ。それによって私は借金が‥‥』とか
『不倫はダメだよ。それによって私は裁判沙汰になり‥‥』とか
『酒、タバコは不健康だよ。それによって私の体は‥‥』とか
『画面の見すぎはダメだよ。それによって私の視力は‥‥』とか
仲良くなってボチボチ体験話でもすれば、
教師が教えられないことを、クラスメイトという側面から教えることが可能で、
『クラスメイトとして、私のような人間にはなって欲しくない』っていうスタンスが取れる。
年の差があることで奇妙な関係って印象を持つかも知れないけど、そこが最も醍醐味。

なぜなら社会に出て会社に就職したら、各々が経験も年齢もバラバラで十人十色の人生を背負ってるわけで。
何も勉強するのに他の生徒と同じ年齢でなければならない根拠など、ありはしないわけで。

それを理解すれば、『いじめは絶対なくならない』などという浅はかな見解は一気に崩壊すると思う。
『年齢差のある環境下でいじめられるもんならいじめてみろ!さあ、やってみろ!』
という別の空気が発生すると思う。

むかし、バトルロワイヤルという生徒同士で争わせる映画があったけど、
あの映画にもし“大人をなめるなよ”というメッセージが込められているのだとしたら、そこまでしなくてもクラスに反面教師役を置く方が若い生徒にとって社会への理解が早いと思う。

つまり若い生徒にとって親や教師以上に説得力のある存在を、親や教師よりも身近に置くべき。

まあ、じいさんばあさんだとアレだから、そこそこ威厳のある&チクリ魔なおっさんおばはんが来れば学校的にはラッキーでしょう。

或いは、戦争体験じゃないけれど、いじめ経験&いじめられ経験のある大人達をいっぱい集めて、一校につき月一くらいのペースで全国の学校体育館などを使って講義して回ってもらうとか。
次第に生徒らにとっては、うっとおしい講義になるとは思うけど、
それは『この世にいじめるヤツがいるからだ』という構図を次第に認識するようになり、
だんだん生徒らは『いじめるヤツ』を憎むようになると思う。
次第にいじめを目撃しても、
『お前のような奴がいるから、毎回くだらない講義を聞かされるんだ!バッキャロー!』
と言えるようになる。たとえ言えなくても周囲にそういう意識は高まると思う。
うっとおしい違法駐車の取り締まりは、違法駐車を始めた奴が原因っていうのと一緒。

そうやって勉強に邪魔な要素をどんどん排除していけば、やっと真の学校へと変わる。
というか、本来の学校に戻る。本来の学校の在り方に。

いじめはパソコンのウイルスと一緒で、本来の学校の存在目的を阻害している要素。
パソコンにもウイルス対策プログラムがあるように、
学校に侵入する『イジメの心』を削除しなければならない。
学校がまともに勉学の場としての機能を果たすのは、それからの話。

イジメというステルスウイルスに侵されつつある各々の学校。

それを助長しているのは誰で、それを直せるのは誰なのか?
高校時代、僕は勉強どころではないくらいいじめられた。

きっかけは中学時代にどこと交流していたかという話になり、僕が別におかしいことじゃないと思って『養護学校と交流していた』と答えたことだったのではないかと思う。

それまで出来ていた新しい友達もみんな僕へのイメージが狂ったかのように離れていった。

いじめが酷い時は便器に顔をねじ込まれたりもした。何十年経った今でも夢に出てくる。

それまで持っていた“学校は勉強する所”っていう認識も、一変して“学校は処刑される所”という認識に変わっていった。

僕は毎日耐えながら通った。

通うしかなかった。少しでも弱音を吐いたり意気地のない姿勢でいると狭い田舎ではたちまち噂が近所や親戚にまで流れる。

そうなると親が困ると思った。学費を払う親が。

いじめについては学校側に非は全く無いと思っていたし、今でもそう思う。

何故ならそういう認識を僕に教えたのは教師じゃなく、“いじめた人間だ”ということを良く理解していたからだ。

“卒業したらもう関係ないだろう”

そう思っていた。

しかし僕の地元は狭い田舎で、すぐにそういう輩に否応なしに出会ってしまう。

実際、近所のデパートで出会い、カモにされたこともあった。

僕はだんだん地元で暮らすことに抵抗を感じていた。

地元にいる限り、これは一生ついて来ると思った。

僕は都会へ出て働くことを決意した。そして何年も都会で働き続けた。仕送りをしたこともあった。

それから親は歳を取り、“面倒をみてくれ”という電話が僕にチョイチョイ入るようになった。

僕はその意向に応えようと部屋を引き払い、実家に戻った。

実家に戻った僕は家で親の面倒を見る気はあったが、トラウマのせいで地元で働くことはできないままでいた。

もし働いている最中に僕をいじめた人間の顔を見た途端、間違いなく僕は事件を起こすか巻き込まれるかのどちらかしかないだろうと確信していたからだ。

都会で働いていた時は盆や正月に時々帰省して特に問題はなかったが、地元で働き続けるとなると話が違ってくる。

僕はそうなる事も想定して以前から事業を起こすことを視野に入れていた。

その方が幾分か自分に都合が良くなると思ったからだ。

事業を起こす事を兄や親に相談したら“勝手にしろ”どころか、“こんな田舎で商売なんかやっても潰されるのがオチだからやめとけ”と言ってきた。
(それは“やめとけ”というより“やめてくれ”というような言い方で、いかにも狭い田舎ならではの、“もしお前が下手打ったらこっちまで変な目で見られる”という閉鎖的な考えを匂わせていた。)


そんな僕の事情を知らない親は僕に“そんなことより普通に働け”と毎日怒って急かしてきた。

僕はもう言っていいだろうと決心して親に過去をすべて打ち明けた。

働きに出れない理由を。

何十年もずっと言えずに我慢していたことを。


しかし・・・・・・。誰も僕の話を信じなかった・・・・・。


これで完全に確定したと僕は思った。

家族関係は崩壊したと。家族ってこの程度のものなのだと。

僕に地元で暮らしていく居場所はないのだと。

僕が地元で暮らしていけない理由がすべて出揃ったんだと。



そして僕は北海道に来た。

なるべく地元から離れるのが目的だった。

それが僕が北海道に来たいくつかの理由のうちのひとつだ。