精神年齢が高い人、低い人は何が違うのでしょうか。
ある程度、年齢がいっていても自己中心的で言動が幼い人もいます。
逆に、まだ子供なのに落ち着いていて冷静に物事を俯瞰で見ることができる子もいます。
何故でしょうか。
それは「魂」の年齢が、それぞれ違うからです。
何度もこの世に降りて、繰り返し経験を積んだ「魂」は波長も年齢も高くなります。
反対に、経験や苦労を乗り越えた数が少なければ「魂」の年齢も低いでしょう。
この世は、学びの場なので様々な「魂」の年齢の人が入り交じっています。
だからこそ、沢山学べるようになっているのです。
実際の年齢だけで判断しようとすれば、葛藤が生まれます。混乱し、途方に暮れることもあります。
感情と感情がぶつかり合い、時には最悪の結果さえ招くことも残念ながらありますね。
年齢が幼い「魂」を変えるのは、途轍もなく困難です。
少々大袈裟かもしれませんが、赤ちゃんに対して法律を守れと言うのに等しいことだと思います。
それほどまでに、困難だからです。
大人の道理は 、幼い子供に理解させるのは無理があります。
ですが、見た目は立派な大人の姿をしているので正論で責めてしまいがちです。
ましてやなまじ形も脳も大人ですから、言い訳や難癖をつけて、自分だけの正しさを主張し意地でも相手を捻じ伏せてこようとさえします。
最初は冷静を保って、対処しようとしていてもこちらもだんだん感情的になってきてしまいます。
「魂」の年齢が離れていれば、落ち着いたときに感情的になった 自分を責めてしまったり、自己嫌悪に陥って情けなく思ってしまったり、どうしても振り回されてしまうものです。
まずは同じ土俵に立たないこと。
感情に感情で返せば、負のループに陥るだけです。
どれだけ相手が 年上の大人であっても、「魂」の年齢は幼いのだと自分に言い聞かせることが大切です。
結局は自分が変わるしかないのです。だからこその学びなのです。
周りが「魂」の年齢が大人の人ばかりなら、どれほど楽でしょう。
ぶつかることもなく、穏やかで過ごせるでしょう。
しかしそれでは、あの世と変わらないので意味がないのです。
私たちが本来居るべきあの世は、同じ「魂」の年齢の人達でいます。例えれば、グループごとに「魂」の濁りの濃さが違う感じです。
濁りが濃いほど「魂」の年齢も幼くなります。この濁りを少しでも薄く透明にするために、私たちは現世に降り学びに来るのです。
現世では、学びのために様々な年齢の「魂」が混在しています。
その事を理解した上でも尚、この「魂」の年齢差の軋轢と向き合うのはとても大変です。
とにかく、感情を抑えて淡々と対処するしかありません。
相手を反面教師して、自分の至らなさを冷静に見つめ直し成長させて行きましょう。
職場ではたくさん学べることがあります。
周りの人達がどんな人なのか、自分の波長を計る基準にもなります。
自分の波長が低ければ、周りもそうなるでしょう。相手が 鏡となり、自分と向き合うことになるでしょう。
現世は本当の自分と、とことん向き合う場所です。これまでのカルマの解消 の場でもあります。
目を逸らしたくなる自分も、逃げずに向き合いゆっくりでも少しずつでも成長させた時波長も変わっていきます。
自分の波長が変われば、周りの環境や人も変わっていきます。
ただ何もせずに、波長の低い職場が嫌だと逃げても 学びが足りなければ、どこへ行っても同じです。
職場には苦手な人が、一人はいるものですがそれをどう捉えるか。
実はその苦手な人こそ、学ぶに最適な人だったりするものです。
嫌だと逃げて辞めたとしても、次の職場にも似たような苦手な人がいたりします。
学びを乗り越えない限り、どこまでも繰り返します。
私もたくさん繰り返しました。まだこれでも自分の波長は低いのかと、自己嫌悪に陥ったり嘆いたり、葛藤と困難の最中でとても苦しかったです。
それでも、向き合ううちに悩ませた人が辞めていったり環境が変わったり、少なからず変化を感じることが出来ました。
20年近くかかって、ようやく落ち着く環境になりました。
自分の傲慢さ、負の感情をこれでもかと見せつけられ、一つ一つそれらに向き合い自分と戦った日々でした。
少なからず成長したのでしょう。自分で実感出来ることは、何にも代え難い感動であり、ここまで来た自分を誇らしく思えます。
同時に、学ばせてくれた全ての人達に感謝の念しか浮かびません。
しかしながら、学びが終わったわけではなくまだまだ成長させなくてはいけません。
理不尽な事を見聞きすれば、時には感情的になったりします。
ただ切り替えが早くなり、何時までも拘ることは 少なくなりました。
自分を成長させることは、「魂」の喜びです。その為の現世です。
一筋縄では到底いきませんが、この真理(スピリチュアル)の原理を理解するのとしないのとでは雲泥の差が出るでしょう。
ただいたずらに、負の感情をまき散らし負のカルマを増やすだけになってしまいます。
それを刈り取るのも自分だけですから、その事は心に留め置いて欲しいと思います。
負の感情を感じるのは正しいことです。あって当然です。それは責めずに、一つ一つ淡々と向き合いましょう。
私たちは、学びをお互いに与え合っています。常に相互関係です。自分が学んで、相手にも漏れなく学びを与えています。
なぜ自分だけ?と損した気分になることもたくさんあるでしょう。
相手にも学びを与え、その人もまた乗り越えなければいけない時が必ず来ます。
現世は学ぶ場所。つらくてしんどくて当然。 一つでも乗り越えて自分の成長を「魂」で感じた時、この上ない喜びを感じるでしょう。
本当の幸せは、いつでも自分の中にあるのです。