もういい | 虹の祈り

虹の祈り

クリスチャンです。
双極性障害二型を持っています。
なにもあまり満足に出来ないけれど、
祈りながら思いを綴って行けたらいいなと思います。
「夕方5時になったらキャンペーン」実施中。
よかったらご参加を。サイドバーを見てね。(冬場は4時です)

神さま・・・

 

今日は、「神さま・・・」の後の言葉が出て来ない。(『今日』とは3月4日土曜日のこと)

 

母が、晩、教会へ行って、教区ニュースをもらって来た。

教会のニュースも、教会で話されることも、なんだか、健康な人達を対象にしているという印象を、病人の自分は持ってしまう。

 

健康優良児とまではいかなくても、少なくとも、教会に出かけられる体力や気力がある人でなければ、教区ニュースで紹介されている様々なイヴェント、講演会、講座には、参加出来ない。大体、教会へ行く事さえ困難だ。

 

教会で話されることも、「わたしたちの日々の生活の中で~云々」「日常生活をしていく中で、~のようなことを心に留めましょう」みたいな話になると違和感を覚えてしまう。

 

わたしには『日常生活』がない。

 

寝たきり状態で身動き取れないのに、何を心に留めたら良いのだろう?

一日中、床の中でお祈りを唱えていたら聖人かもしれないが、わたしはそんな元気はない。

この今置かれている状態、苦しみ、悲しみそれ自体が、祈りになってくれたらいいなとは思っているが。

 

出会う人に神さまを見つけましょうって言っても、寝たきりでは、独りぼっちだし、人に会わない。

 

一日中、横になりながら、頭の中で色々な人のことを思い描いて祈り続けたら疲れて、病状が悪化するし・・・。

 

あっ、5時になったらキャンペーンでの5時の仲間への祈りは続けているけどね。

 

今は、うつが本当にひどいのだろう。深夜にこうして少し書けるエネルギーが出て来るけど。

 

 

もういい。

もう十分だ!

 

神さま、わたしは、教会に行けなくてもいい。

孤立してもいい。

 

違和感を感じる話やニュースに、無理やり自分の信仰を当てはめる必要はない。

 

わたしの病や、苦しみや、貧しさとは、まるで別世界にあるような話にも活動にも、

失望や孤独を感じなくていい。

 

今ここが、わたしの教会。

 

イエス様は、いつも病人といっしょにいたんだ。