日曜日は、妻の初盆の供養でした。
言っときますが、記事は何のオチもなく面白くないのです。
朝の10時過ぎにご近所の上品な奥様がたが4人、お参りにきてくださいました。
僕は名前と顔が一致しません。
でも妻は、それなりに言葉を交わしていたそうです。
やっぱり妻にはかないません。
「いつもバス停から歩いて帰られる時に、会うと言葉を交わしていたのですよ」
「可愛いく優しい奥さんでした。」
「趣味は刺繍ですよね、見せて下さい」
口々に褒めていただいたので、またあらたに喪失感で胸がつかえました。
お一人は
「ご主人は、亡くなられた奥様のことを新聞エッセイに書かれていますよね、コレクションしていますよ」と、おっしゃいました。
僕が知らないだけで、ご近所ではそれなりに僕たちは知られていたんですね。(^^♪
この方は後刻、自家栽培の野菜を届けてくれました。
感激しました。
お隣やお向かい以外はご近所さんとは殆どしゃべらない僕。
大いに反省しました。
これほどいい方たちが僕たちを見ていてくれた、感動しました。
やっぱり妻の人徳で、これからも生かされるようです。
午後、娘と義妹とで大阪・上本町と大阪城の中間くらいにある、妻を納骨した古刹に行き、初盆の法要を営んでいただきました。
持参したのは大きな花束と果物だけ。
院主の奥様や娘さん、お嫁さんが全てを整え、喪服でお迎えしてくれました。
青天に微笑む大きな観世音菩薩とその台座下に眠る妻。
本堂での法要のあと、永代供養塔の前で読経を唱和し、
妻に「お母さん、落ち着いたかい」と話しかけると、院主が笑っていました。
京都の菩提寺ではなく、このお寺に納骨して本当に良かったと思いますし、妻も喜んでくれていると思います。
ややこしい因縁もなく、自ら信頼できる院主ご一家と静かな古刹。
あの最期の病院と若い主治医を選んだ妻。
身体は自分の最期を看取ることを主治医に委ね、そして遺魂となっては、また信頼出来る院主にその冥府の道案内を委ね。
ご近所さんも含めて、これほどいい人たち、信頼できる人たちに囲まれて、妻は、最期には何の悔いも、慚愧もなかったのではと思います。
むしろ、そこまで一緒に歩んだ僕との人生が、辛く険しい道ではなかったのかと、僕が慚愧に耐えません。
そして、いまはここで余生を過ごす家内が、むしろ羨ましくさえ思いました。
僕はまだ煩悩の世界で妻の菩提を弔いながら、浄土を目指さねばなりません。
帰宅して、娘が手早く作ってくれた夕食でビールを飲み、バタンキューでした。
甲子園で応援、京都の墓参と寺社巡り、そして大阪市内での法要と、3日連続のバタバタはまだ続きます。
でも初盆って、、、、わかっていても辛いものですね。