酒はやっぱり楽しいな、特に昔話を共有できるような人と一献傾けるのは人生に潤いを与えるだとか、定年退職して毎日が自由になったら一層飲み仲間が必要だなんていいながら、N田さんは低く笑うわけです。そして、今度は私にその後何をしていたのかと訊いてきました。

 

 苦しむために飲むような過去の生活を乗り越えたところに、彼の幸せをみてとった私ですが、N田さんはそんなに強い方ではない。ゆっくりと生のジョッキを二杯も空ける頃には、すっかり顔も紅くなり、酔い心地に合わせて思い出たちを抱きしめる目色が、まさに故郷の同窓会で思い出話を語るそれへと変わっていました。

 

 「でも、二人で二年間もどうやって生活してたんだい。」

 

 やはり、興味はそこにいきます。

 

 「当時、彼女は就労支援の事業所に通っていたんだけど、あれは生活費を稼ぐためにあるんじゃないんだよな。結局、俺は貯金あったからね。二年間はどうにかなりそうな額はあったから、彼女の面倒を看ながら、それまでに転職先を決めようと思っていたんだ。だけど、そんなレールから外れた生活がうまくいくはずがない。だんだん、今度は俺の方がメンタルひどくなってきてね。元々、おかしかったけどさ。」

 

 急に眉間に皺を寄せては、一瞬、苦しそうな表情を張り付けたN田さんですが、人間、本当に辛い過去というのはありのままには話せないものだ。おそらく、底なし沼的な退廃的人生の時期ではあるが、言葉を選ぶようにゆっくり話し出したのです。

 

 うつ病の経済不安というのは苦しいらしく、N田さんは彼女と同棲するようになって、自分が前へ進むでもなく、かといって後退するわけでもなく、底なし沼の暗いどん底に少しづつ堕ちていくような気がしたそうです。それでも彼女に対する性欲は凄まじく、それに応える彼女の方もレスの期間が長かったせいか負けず劣らず情熱的だったといいます。365日一日も欠かさず、一つの布団で抱き合って寝起きしていたというのだから、本当に仲が良かったのだと思います。

 

 メンタルを病み、苦しい状態になったからといって、お互いろくに働かず毎日酒と性に溺れるという生活が堕落の象徴であることは分かり過ぎる程に分かっていたと語るN田さんです。しかし、その晩、文学が好きなN田さんは当時を振り返ってこんな風な表現をしたものです。

 

 清き退廃と人生に対する積極的受動性という感じかな。生ビールを飲みながら、独り言つ彼でして、その言葉を聞いたとき、私は妙に頭の回転が働いて、こんな風に心の中で解釈したものです。

 

 私なりにその言葉の意味を解釈すると、退廃には二種類あって、良い退廃と悪い退廃という意味ではありません。自分自身がはっきりと退廃であると理解している退廃と、そうではない退廃という意味なんだろうな。清き退廃というのは、真ん中に愛があるゆえ、どうしようもない運命に翻弄されて二人堕ちていくのも一つの幸せだと思うことなのかな。人生に対する積極的受動性というのは、積極的に社会に出ないということであり、これは決して逃避しているわけではなく、だから再起のチャンスはうかがっているんだということでしょうか。

 

 いずれにしても、彼女と一緒に過ごした二年弱の期間、これは彼のその後の人生に悪影響だけを与えたものでもないということでしょうか。しかし、それだけ仲が良かったにもかかわらず、なんで約二年後に別れたのだろうか。

 

 その晩、約二十年ぶりに再会した男の宴も時計の針を見ると、既に二時間も経過していることに気づいた私です。

 

 しかし、N田さんは往時を懐かしむような表情を崩さず話を続けます。

 

 「ホントに懐かしくて、あの時期を思うと涙が出そうになるよ。結局、俺もあの時期働いていればよかったんだよね。まあ、ああいう状態じゃ難しかったな。結婚なんかできるわけがないよ。だから、平成十九年の春頃にね、お迎えが来たんだ。」

 

 「お迎え?」