盛岡地区ではキハ52形やキハ58系が姿を消して15年以上が経ちます。引退間近の2007年に2回岩泉線に乗車しました。そのわずか3年後に土砂崩れにより運休。そしてさらにその4年後に廃止になってしまいました。キハ110系に変わってからも乗りに行きたかったのですが願いかなわず。それ以降、岩泉線の廃線跡を代替バスに乗って訪問したいとずっと思っていましたが、ようやく訪問して来ました。
<2023.9>
●早朝の宮古駅。始発の川内行で茂市を目指します。
●以前は5時台の始発で盛岡まで行けたが、今では川内止まり…。
<2007>
●この頃の5時過ぎの始発は盛岡行きで堂々とした5両編成でした。
●当時は盛岡行の列車が出発した後に岩泉線に入る岩手和井内行が出発しました。
●岩手和井内に着いた列車は茂市行になる表示のサボ。
<2023.9>
●茂市に近づいてくると段々と山深くなってきました。
●茂市に到着しました。
●茂市について辺りを見回すと跨線橋も木造駅舎も跡形もなく消え去り、岩泉線が発着していた1番線も無くなっており、構内踏切と簡易な駅舎があるだけでした。
●盛岡方面
●駅名標
<2007>
●岩手和井内から茂市に戻ってきたキハ52形。
●川内からのキハ52形も国鉄色でした。
●今は無き木造駅舎と1番線ホームと跨線橋。
●岩泉から戻ってきて宮古へ向かうキハ52形。当時は駅員配置駅でホームにも駅員の方の姿が見えますね。岩泉線があったからだと思いますが、こんな駅にも人員配置されているとは国鉄時代の古き良き時代の名残のような感じでした。
●岩泉線は今は剥がされたこの正面の線路を進んで岩泉へ向かっていました。
この後代替バスに乗って押角峠越えをしました。