検証の続きです。
 
●あんまり画像を貼ると怒られそうなのでこの辺で。「リキ」の代わりの樺太犬を姉に渡してきたが、妹が「こんなものいらない!」といって抜海駅まで連れてきた場面。この犬が最後まで嫌がっていて妙にかわいいです。普通なら女の子の方にすぐに来てしまいそうでけど、できた犬だな~。結局姉が犬を引き取りに来た、夕焼けの利尻富士の光景も印象深いです。訪問時はありませんでしたが、駅舎前にプランターがあるのも抜海駅っぽいです。
 ここが抜海駅なのか、高倉健は10年くらい前に亡くなっているし、この犬もとっくに死んでいるだろうから、荻野目慶子か今は50歳くらいのこの女の子に聞いてみたいところ。まぁ、犬は生きていても教えてもらえないけど。しかし、時がたつのは早い。
 
 一度目の訪問を終え、自分が疑問に思った最大のものは、窓越しに灯油タンクが見えますが、ウィキペディアなどを見ると駅舎の側面が板張りなのです。他にも、駅名標が無かったこと。よく見ると何となくその場しのぎで張り付けたような感じに見えるなど。
 
●まずは画面右下にみえる縦の白線と駅中心と書かれているの文字の状況確認。白線はどちらもブロック中央の右寄りにあり、文字は確認できないが、位置的に整合している。さらに、左横のブロックの中央の半円状の欠け方が映画と同じに見える。
 
 
●そもそもこの白線が駅中心なのか。白線は枕木に黄色の丸が書かれている延長線上のブロックとの交点にありました。一つ横の枕木の傍らには黄色い杭がありました。おそらく駅中心の杭と思われます。ずれていますが駅中心の白線と考えて良いのではないだろうか。
 
駅中心の白線から三つ目のブロックの位置位に高倉健が立っており、正面ドアの右側か縦の駅名標の前付近に立っていることになるが、映画ではかなり左に見える。これも謎だったところ。しかし、角度を変えると、駅舎の縦長の壁との位置関係などぴったりと整合しているように見えた。おそらく正面ドアの右側の前辺りの線路寄りに立っていたのだろう。映画は線路の中から撮っているような感じですね。
 
●続いて側面に窓はあるのかの確認。やっぱり側面にも窓はあった!映画と同じです。あとで板が張られたのですね。ばかばかしいが、この確認のために再び訪問したようなもの。窓枠の色も映画と同じような感じ。
 
 
●灯油タンクの痕跡はあるのか調べたところ、黄色の倉庫の後ろまでタンクはあったと思われるが、痕跡は確認できなかった。
 
●昭和52年の航空写真。民家も多く線路際の建物は国鉄の官舎かな。映画の背景に建物群が見えるのも整合する。角度的におかしい感じもするが…。
 
●平成元年の航空写真を見ると映画は結構斜めから撮っているので、まぁそんなもんかという感じもする。
 

●左上には山があり、右下に向かって線路がカーブしている。映画の場面と一致する。しかし、駅周辺にほとんど何にもないのがよく分かります。現在では駅前の集落も確認できたのは1軒のみ。左下の牧場はあったけど。

 

●映画には「ばっかい」と書かれた駅名標があるが、今は無い。よく見ると駅名標をはがしたような跡があった。ちょうど上下の長さも位置関係も映画の駅名標と同じである。

 
●7年前の冬に列車内から撮った写真があった。この時は駅名標があった。この駅名標はちょっと大きいが、昔からこの場所に駅名標があったと推測される。また、よくみると、中央奥に白い柵が沢山見え、さらに奥に山も見える。これも映画の光景と一致する。しかし、黄色い倉庫が無い時に抜海駅に行きたかったな…。
 
結論としては、南極物語の抜海駅は本当の抜海駅です。「南極物語の抜海駅は本当は天北線恵北駅です。」という話に惑わされ二回も抜海駅を訪れてしまいましたが、逆に楽しく良い思い出となりました。廃止された後も駅舎は残るのでしょうか…。
 
 
 下り列車が到着する少し前に、高倉健がたたずんでいた場所に自分もしばらく何をするでもなく立っていました。「40年前に高倉健がたたずんでいた」まさにその場所に自分も立っているんだという思いに浸りながら、映画の場面を思い浮かべ、遠くの山々を見つめていました。駅舎の陰から少女や子犬が出てくるわけもなく、声も鳴き声も何一つない静寂に包まれた中で、映画のような太陽の陽射しを受け、抜海駅を後にしたのでした。これで恵北駅だったらどうしよう…。~完~