12月…

入退院を繰り返し帰ってきた父は

もう自力で歩くことも

起き上がることもできませんでした。


介護認定4がつきました。


あぁ…父は本当に介護状態なんだ…


『介護認定4』と言われると

改めて父の状態が良くないことを

確認させられた気がして悲しくもありましたが

頼れるところは頼って

少しでもながく 

できる事なら 最後の時まで家でみてあげたい

そう思う私達にとっては介護認定4は

ありがたいものでした。

介護保険 本当にありがたかったです。



介護タクシーで 寝たまま帰ってきた父。



コロナ禍のときのように

面会は出来ないわけではありませんでしたが

時間等に規制もあり

病院でコロナやインフルエンザが流行った時に

面会が禁止になったりしたせいもあって

長い入院生活を個室で静かに過ごしていた父は

悲しいくらい表情の変化が

少なくなっていました。

妹曰く 食べること 声を出すことをしないと

喉が老化して 

きちんと飲み込むことが出来なくなるそうです。

父は あっという間に食事は勿論 水さえも

トロミをつけないといけない状態になりました。

独居老人がテレビを見て 

大きい声で独り言をいう

これも良い事みたいです。



それでも帰ってきてからの父は言葉も表情も

少しですが入院してたときより

良くなっているように感じました。

願望込みの感じ方かもしれませんけど😊


『やっぱり家が良いよね』

『きっと どんどん良くなるよ』

父が笑ったり たくさん話したりすると

私も母も嬉しくて

つい大きすぎる希望をもってしまいました。


希望を持つそれ 普通ですよね…。


『今は介護認定4だけど ずっと4じゃないよ

 頑張って良くなったら3になって

 もしかしたら2になることだってあるよ』

なんの根拠もないのに 

生きる気力を失ってほしくなくて

自分達も希望は捨てたくなくて

父にそんなことを言ったりもしました。

言ってるだけではなくて

私も母も まだ 

近い将来車椅子で散歩できるくらい元気になり

そのうちまた自力では無理でも

歩行器を使えば歩けるくらい

元気になると信じていました。


『癌は取ったんだもんな』

『そうだよ!癌は治ってるんだよ

 気持ちで負けちゃだめでしょう』

父ともそんな会話をしていました。


看護師をしている妹だけは

しっかりと現実を受け止めていたので 

夢ばかり見ている私達を見ていて

辛かったのではないかと思います。



自力で動けない父が帰って来るにあたり

妹の家では家族会議をして

妹は義父母と旦那さんの理解と協力を得て

通勤に時間がかかるし大変ではあるけど

実家を起点に動くことにしたと言いました。


今思えば 父が元気になるためなら

何年でも介護を頑張る覚悟をしていたつもりの

私や母と違って

看護師になって30年程たち

多くの患者さんをみてきた妹には

父の寿命が それほど長くない事が

退院する前から想像できていたきがします。


私は毎日実家には行っていましたが

妹に泊まってほしいと言われたのは

週に2度ほどの妹の夜勤の時だけでした。


職場までかなり遠く準夜勤も夜勤もあるから

体を壊しては大変だからと

近いし私が泊まれるから任せてと言っても

妹は『大丈夫だから』と譲らず

無理してでも実家中心で生活をしていたのは

その生活が長く続かないと知ってたから

後悔のないようにしたかったのではと思います。


母と私には 言えなかったみたいですが。


母も私も 良くならないなんて事は

少しも考えず

無意識に都合の悪い現実は見ないで

ほんの些細な良い傾向をみて

『父は元気になる』と期待につなげ 

希望を捨てるどころか

父が良くなる想像だけ膨らませていました。


妹は 私達が 現実に気がつくまで

私達の希望を奪わずに

辛い現実を自分の中だけにおさめていた

そう考えると妹は可哀想だったと思います。

見かねてか妹は 何度か私の考えが甘い所を

指摘してくれましたが それでも 

私は現実を見ないようにしていた気がします。



ただ 現実は甘くないと

父が帰って来たその日から

すぐに思い知らされました。



この頃はまだ 父にはベットの柵につかまって

止まっているだけの力はあったし

薬を服用してたほど尿が出にくかったので

おむつ替えも難しくなく

妹のように1人で手際よくはできなくても

母と2人で時間をかけてなら

着替えさせることも難しくありませんでした。

その点では世の中の介護している人達に比べて

かなり楽な介護だった気がします。


ただ大変だったのは 

ご飯と 夜でした。