(「先輩風を吹かせて」からの続き)
いつの間にか女の花園の中に迷い込んでしまった白楽雲。こんな経験はそんなに出来る事ではありません。が、しかし、如何すりゃいいの・・・。
暫くすると、初めにやって来た子は支配人と思しき男に促され不服そうに出て行きました。後から来た子に聞くと、身体を触ったりする嫌いな客の相手を拒んだんだとか・・・。
結局、後から来た子も「もうそろそろ戻らないと」と言って出て行きました。私達の部屋はまた元の状態に戻り、平穏を取り戻したものの、何か寂しさが残るのでした。
彼女達は、変な日本人がいると聞き、好奇心でやって来たのでしょう。その後も他の子達がとっかえひっかえ出たり入ったりを繰り返しました。「忙しないなぁ~」。
この時、私はある事を考えたのです。私も男ですから良からぬ事をしたい衝動はあります。でも、ここでの生活が長くなりそうな予感がした私は、楽しく生活する方法を考えたのです。
工場では味方と言えるのは小李だけです。その機嫌を取る為に始めたカラオケ通いです。カラオケの女の子と仲良くなり、私の居場所を確保しようと想ったのです。
私はこの後から、カメラを持って行く事にしました。当時の中国人でカメラを持っている人は極々稀です。写真なんか撮った事のない人がほとんどなのです。
原料調査で訪れたホテルの受付嬢は「写真を送って貰えませんか」と言って、個人の住所を教えてくれました。ちゃんと日本から送ってあげましたよ。
廈門(アモイ)のホテルの女の子達も写真をあげると喜んでいました。きっと、ここの子達も喜んでくれる筈だと想ったのです。日本人は紳士なんだと解らせてやる事にしたのです。
日中友好の第一歩にする為に・・・(嘘つけ、動機が不純なんだよ)。友達になるだけなら良いじゃないか。手を出すわけじゃないんだから(絶対だな)。多分(こら~)。
案の定、彼女達は「写真撮って」、「写真何時出来るの」、「出来たら貰えますか」って、とっかえひっかえやって来ては頼まれるのです。私の周りは絶えず5・6人の女の子がいました。
私は元来女性と話すのが苦手なのです。女性にダメを出されると極度に凹んでしまうのです。その理由は幼少期のトラウマでしょう(「女なんて嫌いだ」参照)。
それがここでは全く気にならないのです。彼女達とはすぐに仲良くなりました。不思議なものですね。その理由が解ったのは結婚してからでしょうか。
妻と結婚したばかりの頃は、中国語で話をしていました。今では妻の方が日本語が上手いのです。昔は無かったのに、今では妻に凹まされています。立ち直れない程に・・・。
日本語で女性に酷い事を言われると立ち直るのに時間がいります。どうか皆さんコメントいただく際は気配りを御願いします(何頼んでんだ)。最近虐められてんの(自業自得や)。
強制給餌、カラオケショー、そして、写真撮影。初め写真撮影は彼女達がポーズをキメ、私が撮るだけだったのですが、私の言うポーズをやってくれるのです。カメラマンの気分・・・。
「好好好、行行行、下次、脱衣服好不好」なんて言ってませんよ。「好好好、行行行(いいよ、
いいよ)」は言いましたけどね。皆初めての写真撮影です。綺麗に撮ってあげないとね。
女性の方々、ごめんなさい。私はこの時33歳です。敵ばかりの工場に居る事がどれほど苦痛であるか・・・。ここに来れば10歳も若い子達と一緒に楽しく居られるのです。
まだ独身でしたから不倫ではないし、信じて貰えないかも知れませんが、指一本触れてません。いや触れたでしょうけど、嫌らしい事はしていませんよ(ホントか~)。ホントです。
ただ現実逃避したかったのかも知れません。
写真一枚で、こんなにも喜んでくれるのですから、もっと喜ばせてやろうなんて考えてしまうのです。馬鹿ですよね。自分が救世主にでもなったつもりなのでしょうか・・・。
ある日の事、部屋のドアが開き、見知らぬ女の子が現れました。部屋に入るなり、腕組みで私の方を見ています。私はその姿に目が釘付けとなったのです。
腰まである綺麗な黒髪、デニムのパンツと黄色い半袖のシャツ、首には金のネックレス(多分偽物でしょう)、足が長くスリムなボディと意志の強さを感じさせる容貌はまるで・・・。
そう、乙ちゃん(菜々緒さん)の様です。更に愁いを帯びた容貌は男の心を掻きむしるには十分。暫し、見つめ合う二人。彼女がニコッと笑い、こちらに一直線にやって来ました。
どうなるの俺、そそそんな、心の準備が・・・。
(つづく)
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