となりは大きなお墓でお盆になるとお墓まいりに人々がやってきます。そのむかいの神社では夏祭りの奉納があり、人々は盆踊りをして花火をあげて楽しみます。この一見矛盾した風景は日本人の死生観にあっているのかもしれません。

 

大学時代の恩師の田村学造先生、癌や免疫の指導をしてくれた中外製薬の先輩たち、ポスドク時代の凄腕の先生・・・。昔の知り合いに聞いたらみな鬼籍に入られているそうです。こちらも70に手が届く年ですから当然と言えば当然ですが。

 

篠原信賢氏は免疫の手ほどきをしてくれた高校の先輩ですが、晩年はシンガーソングライターになり、ギターの弾き語りをしていました。

 

君の墓に君は 居ないと言うけれど

僕は何処に行けば 君と語り合えるのか

たとえ居なくとも お墓の周りに

君を感じるから 語りかけるのさ

 

篠原氏が亡くなった妻に語りかけた歌で、当時はやった「千の風になって」への返歌です。

 

彼は言います:死んだ人がお墓を含めてこの世の何処にも居ないことは百も承知です。わかっていながらどうしても心に残る想いを持て余した時にはお墓に行って語りかけるしかないのです。子供だましの絵空事で「星や風になってあなたを見守っているから悲しまないで」と言われても慰められる等という事はありません。お墓は残された人の為にあるのです。

 

その彼も2年前に亡くなりました。人間どこかで諦めなくてはなりません。自然の摂理に身を任せて生も死も享受する。「則天去私」はホルミシスの基本だと思います。