誕生日へのメッセージを送っていただいた皆さまへ。
温かい言葉をたくさんいただき、心より御礼申し上げます。
人生の節目の歳を迎えることになりました。
いつもより真剣に、誕生日を迎えることができました。
思えば、
35年間の長きに亘りサラリーマン時代にお世話になった方、
その間、至らぬ自分を指導していただいた諸先輩方。
お互いを意識しながら切磋琢磨して、時には厳しい指摘をし合い、
時には悩みを聞いて励ましあい、一緒に時代を歩んできた同輩たち。
心を通わせようと思いながらも、言葉足らず、情熱足らずで、
相互のコミュニケーションが不十分なまま仕事を進めてしまい、
それでも、一所懸命に支えて、十二分の働きをしてくれた後輩たち。
『人は一人では生きていけない。』
この当たり前の、言葉の重みを、節目の誕生を迎え、
あらためて嚙み締めることができました。
サラリーマンから独立起業して、7年目。
その間にも、多くの方々に助けられ、支えられてきました。
セカンドライフの過ごし方。
それは決して、余生を暮らすというような類ではありません。
僕にとっては、
「意義のある日々を送ること」がセカンドライフでした。
四住期における学生期(~22歳)では、
何も知らない子供だったため、自分の知識を広げるために、
本をひたすら読んで、学んでいたことを思い出します。
多くの知識は、本から得ることで満たされていきました。
家住期(~60歳)では、
妻と結婚し、子供を授かり、両親と同居して、
自分の理想の『家族』を形成することを考えていました。
仕事においては、
良い営業とは何か?良い広告とは何か?良い上司とは何か?
『自分の役割』を極めることに突き進んでいました。
「働くために生きてきた。」
今から、その時代の自分を振り返ると、
この言葉がピッタリなんだろうと思います。
何かしら、
自分の役割を突き詰めていこうとしていたようです。
しかも、そのことが、自分にとっては心地よかったのです。
でも、ひょっとすると、
自分の、そんな強い思いと行動の中で、
周りで、迷惑を被っていた人がいたのかもしれません。
きっと、いたと思います。
もしも、迷惑をかけていたとすれば、
自分の好き勝手な、「思いと行動」が原因ですから、
申し訳なかったと反省し、お詫びいたします。
「生きるために働く。」
これからは、この言葉通りに生きていきます。
では、どのように生きるのか?
「働くために生きてきた。」この家住期の頃は、
自分のライフスタイルが中心であり、
自分と家族のために、一所懸命働いてきました。
自分の心の充足とともに、
多く稼ぐことが、「一所懸命」のバロメーターでもありました。
つまり、その頃の成果は、
収入の高さと、役割の重さ、だったのです。
もちろん、その頃の僕に聞いても、
この答えは出てこないと思います。
実際に、一所懸命に働いていた、その頃は、
課題の高さと、責任の重さ、しか意識できていませんでした。
でも、これからは違います。
生きるために働きます。
収入は、夫婦が食べていければそれでよし。
若い頃に、夢中になっていたような、
「贅沢品」や「高額のマニアックな物」に興味はありません。
ましてや、自分のステータスシンボルを取得するために、
無我夢中で働こうという気持ちも、毛頭ありません。
「今」は…
これから羽ばたこうとしている若い人のために、講師として、
大学で学んで貰える場を、与えていただいています。
懸命に経営をしている方のために、コンサルタントとして、
寄り添いながら支援できる場を、与えていただいています。
地域を活性化させる方のために、ファシリテーターとして、
実りあるコミュニケーションの場を、与えていただいています。
「生きるために働く。」という言葉の、生きるとは、
このような役に立てそうな場で、
一心不乱、一所懸命に尽くすことに他なりません。
そのように生きていこうと、
誕生日に誓いを立てました。
末文ながら、
誕生日のお祝いメッセージを送ってくださった方々の、
益々のご健勝とご活躍を祈念しています。
<誕生日に、滋賀県三上山へ登る>