もしも魔法が使えたら?
魔法が使える人を増やしてあげたい。
もし、私が、魔法を教えてあげたら何に使いますか?
治療家として、時々言われた事があります。
『先生!痛くない!魔法みたい!』
何気なく、当たり前に、痛みを一緒になって取ってあげただけなのに、感動して、例えて言ってくれた言葉が、『魔法みたい!』だったんだなぁって、今になって思い起こされます。
魔術師でも何でもないのに、何故なんだろう?
でも、治療家冥利に尽きる、と言うか、そんな言葉を言ってもらえると、嬉しいもんです。
いろんな症状の方をお迎えして、いろんな引き出しから、ひとつ取り出して、施術して差し上げる。
選んだ引き出しが、患者さんにマッチして、
言葉であれ、手技であれ
その人の痛みがわかり
【コレをこうする】
【こうなればいいなぁ】じゃなくて
【コレがこうなっていく】という意識が手から伝わった時
そして、治してもらう人との信頼関係が生まれた時
【魔法】が実現するんじゃないかな?
私たちは、【治して差し上げる】ではなくて、【治る道を導く】だけ
【治し方を教えてる】だけのような気がする。
魔術師と言えば、1番の魔術師は、
【僕のお母さん、私のお母さん】だと思う。
転んで泣いている時に、
『どうしたん?どこが痛いの?自分でしたんやろ?泣きなさんな!よしっ!ハー!ハー!ゴシ!ゴシ!痛いの痛いの飛んでけー!』
ホントに痛いのが早く無くなるような気がした。
今になって思えば、おふくろは、
ケガの原因、症状の確認、予防の指導、温熱療法、手技、そして【気】まで送っている。
そして何より、自分の事のように、息子の痛みを感じ、【痛みが取れてほしい】という。【念】を瞬時に送っているのである。
母親(術者)は、愛情を凝縮し、手のひらに集中する。
子供は、手を当てた患部に伝わるパワーを見つめながら、意識を集中する。
この共同作業が、魔術を引き起こし、痛みを消すのではないか?
その時、私が、マンガを読みながら、おふくろの『痛いの痛いの飛んでけー!』を受けていたとしたら?
おふくろの治してあげようとする意識は薄れて、殆どの治療効果は望めないと思う。
おふくろではないが、【気】を凝縮して、集中して、
・どれだけ送り込めるか?
・どれだけ協力してもらえるか?
それが魔術
(o^^o)
それではまた!👋