プロ野球カードとサイン

プロ野球カードとサインでは、BBM・カルビー・タカラといった、NPBを取り扱うトレーディングカードを中心に選手の経歴を紹介。

アメンバー限定記事は主に球場でサインを貰う(インパーソン)際に更新しています。

80年代〜90年代のOB選手を中心です。


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江川キラー」といえば・・・



中日 豊田 誠佑 さんです!


1974年 日大三高時代、春の選抜高校野球大会にて、2回戦まで突破。


高校卒業後は、六大学リーグの明治大学へ進学し、3回のリーグ優勝を経験します。


そして、同時期に活躍した、六大学の名投手といえば・・・



法政大学 江川 卓 投手です。


豊田さんは、大学時代に江川投手と相性が良く、「江川キラー」と称されます。


そして、1977年に首位打者を獲得。1978年には、全日本大学野球選手権にて、日本一になりました。



その年、ドラフト外で、中日ドラゴンズへ入団。



入団一年目から、63試合にスタメン出場。そして、入団2年目には、114試合に出場し、打率.292と好成績を残しました。


1982年には、あの試合が・・・


9月28日ナゴヤ球場でのvsジャイアンツ戦。


この年、ドラゴンズとジャイアンツは1,2位を争う、攻防戦。


9回裏2-6のビハインド、全盛期の江川 卓投手は完投ペース。


そこをまず、カーブを狙ってレフト前ヒットを放ったのが、豊田さんでした。


そこから、3番 ケン・モッカ選手も、カーブを逆らわずに打ち、ライト前。


4番 谷沢選手も、カーブを打ち、レフト前!


そこからどんどん続き、この回は同点に。その後、チームのサヨナラ勝ちのキッカケを作った活躍のシーンでした。



この年、活躍のシーンはあるものの、故障がちになり、レギュラーを平野 謙選手に奪われます。


1983年からは、右の代打、守備要員としての活躍道になりました。



1988年には、登録名を「誠佑」から「成佑」に変更。この年も、右の代打・守備要員で88試合に出場します。


東京ドームでレフトを守った際、フェンス直撃の打球を、直接取ったようにみせかけ、原 辰徳選手に走塁放棄をさせた守備プレーなど、場面によってキッチリ仕事をする、いぶし銀な選手でした。


そして、リーグ優勝を手土産に、現役を引退。この年から、コーチに就任。


その後、スカウトなどを務め、2008年から2014シーズン終了後まで、ナゴヤ球場に隣接する選手寮「昇竜館」の館長を務めました。


ながーく、ドラゴンズの裏方に従事されました。


今も、男気あふれるさわやかな豊田さん。


野球指導で力を発揮してほしいです!!

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来季からコーチ復帰を果たす、この方



中日 石井 昭男 さんです!


2018年から、17季ぶりに現場復帰を果たす石井コーチ。


そんな、石井さんは、1972年 東海大相模高校2年次に、夏の甲子園へ出場。


高校卒業後は、東海大学へ入学し、首都大学リーグで在学中に5回優勝を飾ります。


1976年、1977年には日米大学野球選手権大会日本代表に選出され、四番打者を任されます。


1977年ドラフト3位で、中日ドラゴンズへ入団。


入団1年目には20試合に出場し、プロ初安打も記録。


入団3年目の1980年には、88試合に出場し、7本塁打を放つなど、順調に経験を積んでいきました。


また、1985年には、谷沢選手、大島選手、ケン・モッカ選手が怪我で戦線離脱する中、4番バッターとして、打率3割を記録しました。



怪我の影響もあってか、中々レギュラーに定着せず、代打の切り札が石井さんの活躍舞台。


打撃センスは抜群でした。 ゲーリー・レーシッチの前にいた、応援歌が元祖「狙い打ち」の方。


東海大学の後輩で後に巨人軍へ入団する、原 辰徳 選手が、


「あの石井さんがレギュラーになれないのに、僕がプロで通用するはずがない。」


と語っています。



1987年 現役を引退。 その後、翌年からコーチとして、中日ドラゴンズに残ります。


鍛えた選手として、長年活躍した選手は、



中日(1984年~1995年)→ロッテ(1996年~1997年) 仁村 徹 さんです。


入団2年目から打者転向。そこから長きに渡りドラゴンズの中軸打者として活躍。


伸び盛りのドンピシャのタイミングで、練習にみっちり付き合ったのが、石井コーチでした。


仁村さんは、「僕のバッティングは、みんな石井さんに教わった」 と語っています。


その後、現場を離れ、スカウト業として活躍。


そして!2018年から満を持して、2001年以来の現場復帰です!!


2017年秋季キャンプ初日は、東海大甲府高校出身の高橋 周平選手などを中心に、若手打撃指導。



初日の感想が、


「僕らが見て、入れた選手たちばかり。でも外から見ていると、入ったときよりよくなっている感覚があまりない。個性がなくなっている。本人のとらえ方の問題」


と語っています。


スカウトと、入団後の指導の一元化がいよいよ進みそうです。


石井コーチに期待!!

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 「 スーパー忍者キャッチ 」 といえば・・・



中日広島中日 音 重鎮 さん です!


石川県にある星陵高校から名古屋商科大学へ進学。


愛知大学リーグで通算99試合出場、打率.306、4本塁打、49打点を記録し、ベストナインも1度受賞しました。


卒業後は、新日鐵住金名古屋でプレーし、1987年。


ドラフト1位の立浪和義 選手と同タイミングで、ドラフト5位にて中日ドラゴンズに入団しました。


入団一年目から、リーグ優勝に控え選手として貢献し、西武との日本シリーズにもスタメンとして出場しました。


音さんの背番号40時代の代表プレーは、なんといっても「巨人 斎藤投手のノーヒットノーランを阻止」です。


1989年 vs巨人戦で、9回裏一死までノーヒットノーランに抑え込まれていた巨人の先発 斎藤雅樹から代打で右翼線にヒットを打ち、そこから大逆転のきっかけを演出しました。



1991年 長嶋 清幸 選手とのトレードで、山田 和利 選手と共に、広島東洋カープへ移籍します。


1994年 115試合に出場し、レギュラーを獲得。この年の一つのプレーが有名になります。


vs横浜ベイスターズ戦 広島市民球場の外野フェンスをよじ登って、佐伯 貴弘 選手のホームラン性の飛球を好捕!


この忍者キャッチの映像が松下電器の大画面カラーテレビ「プレイバック・ヨコヅナ」のテレビCMに使われ、繰り返し放映されました。


1995年には、初のゴールデングラブ賞を獲得。広島の中心選手として活躍。


そして、中日へ星野 仙一さんの監督復帰が決定した後、



1996年から、山田 和利 選手と共にドラゴンズへ復帰します。


移籍初年は86試合に出場。


巨人 槇原 投手の3連発は、バース・掛布・岡田 選手が有名ですが、平成の時代でも3連発はありました。


それが、音さんのホームランからスタートした、音・山崎・大豊 選手です。


内角低めの球を上手くさばき、ポールの内側へ運ぶ技術に長けていらっしゃいました。


その後、代打が多くなり、チームが11年ぶりに優勝した、1999年限りで現役引退をします。



引退後は、ドラゴンズでスコアラーやコーチなど任され、現在はスカウトに。四国を中心に、人材発掘に尽力されています。 


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超スローカーブ といえば・・・


中日 今中 慎二さん です!


1990年代を代表する左腕は、今中さんじゃないでしょうか?


大阪桐蔭高校の前身、大阪産大高校大東校舎に進学し、1年次に秋府大会で、PL学園戦に先発。


後のチームメイトになる、立浪和義率いるチームに0対1で敗退。この時の好投がNPBスカウトから注目を集めるようになりました。


甲子園には出れなかったものの、1988年 ドラフト1位で中日ドラゴンズから指名され入団します。


入団1年目の9月には、広島カープ戦で北別府 学投手と投げあい、プロ初勝利を挙げます。


1990年には先発ローテーションに定着し、10勝。1991年はオールスターゲームに出場。


これから活躍が期待されていた、1992年


ピッチャー返しのゴロ打球が左手首に当り、骨折。実は、この怪我がきっかけで、あの武器を習得します。


手首の痛みがなく投げられるのがカーブだったため、リハビリがてらカーブでの遠投をやり続けました。


そして、復帰した試合は、阪神 戦。先頭の和田 豊選手に投じたスローカーブは、当時の正捕手 中村 武志 選手をも驚かせました。


1993年には、17勝。最多勝利賞、最多奪三振賞を受賞。


そこから、1996年まで毎年10勝以上 ドラゴンズの左のエースとして活躍しました。



1996年から、左肩の痛みにより、戦線離脱。


そこからも1軍のマウンドを踏むこともありながらも、全盛期のような投球ができず・・・。


ドラゴンズがセリーグ制覇を成し遂げる1999年に手術に踏み切りました。


翌2000年 7試合に登板したものの、気力の限界から10月に引退を決意しました。



「 悔いはあります。」



11月10日の引退会見で今中さんがおっしゃった言葉です。


実働12年で、233試合登板 91勝 69敗


怪我さえなければ、もっともっと活躍していたでしょう。だからこそ、「悔いはあります。」


引退後は、2012年、2013年にドラゴンズの投手コーチ。


現在は、解説・評論家活動をされています。

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