「ミスターファイターズ」 といえば・・・
日本ハム 田中 幸雄 さん です!
現役生活22年間を日本ハムファイターズ一筋で過ごされた、ミスターファイターズ。
そんな幸雄さんは、一般入試で、都城高校へ進学。
右打ち技術と強肩が評価され、1年次からレギュラーとして活躍。
3年次の夏は、3回戦で敗れたものの、この頃には打撃力が向上し、九州で1,2位を争う、大型遊撃手に。
清原、桑田の指名の注目が集まった、1985年のドラフト3位で、日本ハムファイターズへ入団します。
1年目は、イースタンリーグでベストナインの選ばれます。
そして、2年目の1987年 若返りの方針から、幸雄さんを多く起用。送球のイップスに掛かるものの、年間通して活躍し、112試合に出場しました。
1988年には、ベストナインとゴールデングラブ賞を獲得。
この年のオールスターゲームでは、ファン1位投票で出場しました。
そして、1991年から、背番号を 「37」 → 「6」 へ変更し、引退までこの番号が続きました。
行くぞ幸雄ホームラン♪ センターオーバーホームラン♪
弾丸ライナーだ♪HEY!! 飛ばせ運べ幸雄♪♪
この曲を聴くと、ガラガラの東京ドームに響き渡るトランペットの音色を思い出します。
名曲です。
1994年から1996年まで130試合とフル出場。
1995年には、5年ぶりのベストナインとゴールデングラブ賞を獲得されました。
現役晩年。特に、ファイターズが本拠地を東京から北海道へ移転する直前の2000年代は、
入団まもない、田中 賢介選手とはショート、キャッチャーからコンバートされた小笠原 道大選手とはファーストのポジションを争いました。
2006年には、チームの主将に就任。控え選手でありましたが、精神面でチームメイトを支え、リーグ優勝、日本一に貢献します。
2007年には、史上35人目の2000本安打を達成し、現役引退。
背番号「6」は、今のファイターズを支える、中田 翔選手へと継承されました。
現在は、ファイターズの2軍監督として、鎌ヶ谷の若手を束ねています。
次期、1軍監督ですね!