P.F.ドラッガーという人の本を大量に読んでいる。友達に進められたのと、多くの人が読むべき本としてあげているからである。
読んでみると久しぶりに深く、いい本が多い。
経済学者+社会学者であると思われる本人の本は、比較的読みやすい。
これから数回はドラッガー特集をして見ます。
ドラッガーと源さん①
"(人が人生を考えるとき)
一つ目は人は、何によって人に知られたいかを自問しなければならないということである。
2つ目はその問いに対する答えは、年をとるにつれてかわっていかなければならないということである。
その成長に伴って、かわっていかなければならないのである。
3つ目は、本当に知られるに値することは、人をすばらしい人に変えることである。"
PF.ドラッガー 「プロフェッショナルの条件」
人生の大局を見たときに、まずあるべきは自分自身である。
すなわち自分自身が“何をしたいか”
何をしたいかなんて大まかには決めるんだけど、それほど大きな人生のテーマというレベルのものを特定するのは通常難しい。(おれは人生でこれだけできれば満足だなんて仕事ですね、たとえば。)
常々大事と思っているのは、“自分という芸術作品はどのようになったらもっとも美しいのか”という観点から自分を見ることだと思っている。芸術作品だと思えば、他人から評価されなくても“わかる人にだけわかればいいのさ”というスタンスでいればいいということなのである。
そういう意味で、納得できる人生=好き勝手な人生を送るのがいいなあと思っていた。
ただ、作者本人は作品を愛してあげなければいけない。
これが自分自身を好きになることが人生の目標とのゆえんである。
そういう流れの中で、ドラッガーの言う、他人にどういわれたいのかというのはまったく異なる新たな視点を加える。社会とのつながりの中で、自分は友達に、同僚に、子供に、社会にどういう人間であったと評価されたいのか?自分の葬式でみなが漏らす何気ない一言に、なんていってほしいのか。
それをイメージするとき、“社会から見た自分像”を強く意識せざるを得ない。
“自分が何をしたいか”と考えて行き止まりまで行った人には、次に“自分がなんと言われたいのか”を考えることが次のステップになるような気がする。
それは、他人の目を通し自分が“どうなりたいのか”を間接的に写すものであるから。
僕個人はどういう風になりたいのか?
照れるので全貌は書きませんが、“いい教育者”というものに近い気がしています。