ここ1,2か月、吉田修一を読んでいる。時系列はあまり気にしていないが、やや時間を遡るように進み、芥川賞を受賞した『パーク・ライフ』にたどり着いた。

 

日比谷線の車内でちょっとしたパプニングが起こった

 

 物語はここから始まる。そして「ぼく」と女は日比谷公園で再開する。ヨーロッパやアメリカでは、公園はもちろん街角のベンチ、カフェのテラスなどでも知らない人同士が会話するケースが多い。そして、そのようなコミュニケーションが起きやすいように空間が設計される。しかし日本では、知らない他人に話しかけることは、大阪のおばちゃん以外では、あまり見かけない。

 物語には男女の微妙な距離感とその変化が、複数の組み合わせで出てくる。「ぼく」と女を中心に、「ぼく」とひかる、宇田川夫妻、母と父・・・。パプニング以降、不思議な気さくさで近づいたり遠ざかったりする女。恋愛感情が高まるわけでもないが、関係性を探り続ける「ぼく」。

 そういえばずいぶん昔、大学に入りたての頃、バイト帰りの電車で週に1度だけ同じ電車に乗る女性となんとなく会話するようになったことを思い出す。多分5つくらいは年上だったと思うが、自分が急にその電車をつかわなくなり、突然関係性がなくなった。あのままだったら関係性はどうなったのか。

 日常生活の些細な出来事から男と女が出会う。お互い関心があるものの、恋愛感情もわかず、盛り上がるわけでもない。もしかしたら、男性が女性を見る目、女性が男性を見る目が、近年かなり軽くなったのかもしれない。期待感、ワクワク感、高揚感がおどろくほど小さい男女の関係が増えているのではないか。恋愛感情という人間の感情の中で最も強く、セルフコントロールが難しいものを、人は克服しつつあるのかもしれない。