最初の陽性症状は20代半ばの時でした


入院することなく なんの病識もないまま

服薬で落ち着きました

精神障害者になったということを家族も私も特に思っていませんでしたし 


詳しく知りませんでした


陽性症状以前は働きながら大学に行っていたのですが


大学に通うことに専念しました


勉強の覚えも悪いし 授業で覚えたことから 解法を導き出すのに テストでもざっくりした概念にしか答えかかけずにあまり良い点数はとれませんでしたが


授業を理解しているとのことからか単位は取れました


ゼミは 病気のことから人間関係や 論文を書くのが苦手で 取りませんでした


後に文章は仕事をするようになってから少し回復して書けるようにはなりました


教職課程も最初は取る気でいましたが 病気になって教育実習に自分の行っていた学校に行く自信がなく 諦めました


二部の大学に行っていましたが 昼の単位も取れるという制度になって 昼に通っていました


単位は授業を受けてテストを受ければとることができたので できるだけたくさんとってしまって


最後の一年はほとんど学校にいかなくて済むようになりました


なので飲食店で短時間バイトをするようになりました




サークルはワンゲル部に入って最初のキャンプだけに行きました


あとはワイルド過ぎてついていけませんでした


最初のキャンプは授業の終わったあと 夜の9時過ぎからどこか車で山道を連れてかれました


夜が明けてみると 湖?沼? の前にテントがたっているのが初めてわかりました


アジア方面を一人で旅したという先輩は たき火のそばでそのまま寝ていました


あとはグライダー部の体験をしました


機械のついていない飛行機を ワイヤーロープの力で空に飛ばします 計器はついています


あとは景色を眺めながらゆっくり飛行して落ちていきます


そういう体験もできました


数人の友達と彼はできました


いつも彼ばかりと一緒にいて 友達とはドライブやスキーに何回か行ったりしたくらいでした ただ男の友達と行ってしまったとき彼がいるのに思わせぶりになってしまい相手にその気になられたことも


キャンパスでも夜の授業に出ている人とは少し話したりすることはあったのですが昼に通っている学生に声をかけて友達になるということは気が小さくできなくて


今となっては自分にもっと合ったサークルに入ったり成績はともかくもっと大学でできることをフルにしたり友達を作れればよかったと思います


授業の一コマが長いので授業を聞いているので精一杯でした 普通はノートさえとれば理解できるのでしょうけど 


病気になって今思えば陰性症状もあったと思うのですがただ自信がなく過ごした大学時代でした


病気になる前は授業をサボって歳上の彼と会っていました そんなときでも遊びではなく真面目に付き合っていました


何をやっていたんだか


大学の事務の人は気にかけてくれた人がいましたが病気のことは大学側は知らなかったと思います


親は病気になってしまって怒るわけにもいかず気苦労ばかりかけていました