今日は東日本大震災が起こった日
あの日は私は退院したあとで陰性症状の真っ只中
スポーツクラブに通ってダイエットの最中でした
帰りバスで帰ろうとバス停にいたら
揺れがきて急激に強くなった
近くにいた着物姿の女性二人はバス停につかまっていた
歩けませんでした
ガラスのある建物もありましたが幸い落ちてきませんでした
交番が近くおまわりさんも混乱してました
あんな揺れは経験したことがありません
昭和53年の宮城県沖地震のときは生まれてましたが小さかったので ろうそく生活しか覚えてません
幸いにバスはすぐ来ました
住宅街に入ったら瓦屋根が壊れていました
実家に住んでいたのですが 幸い実家のあたりは岩盤の強いところだったので食器が少し壊れた程度ですみました
携帯電話も使えなくなりましたが
家族みんな無事でした
情報が入ってこなかったのですが 時間がたつにつれ津波があったことがわかった
だいぶあとになって釜石市の親戚が市役所に行ったまま行方不明になりました そのまま戻ってこなかった
どんな思いで亡くなったのか怖かったろうにと思います
電気水道はストップ
夜にラジオで海岸に300人ほどの遺体が上がってると聞いて
今までにないくらいの被害がだんだんわかってきた
被害の大きさがわかってきて
どうなるのだろうかと思った
食料を確保しなくてはとコンビニに行ってみるも店内売り切れ
ガソリンもなかなか手に入らず並びました
食料は雪の中並んで買ったりしましたが食べるものはありました
電気もすぐには復旧せず
水道も一ヶ月くらいは給水所に水くみ生活が続きました
私の実家は都市の中心部から車で20分くらい離れた高いところにあるので被害があった人は少なく 海沿いの津波の想像以上の被害と行方不明者 死者の方があったのは情報はなかなか入ってきませんでしたが 後で愕然としました
失ったものが大きい方に比べれば被害大したことない方でした だいぶ後わかったのですがIHクッキングヒーターが傾いたのでわかったので家が少し傾いたようです
震災後に臨時職員で働いたところにいた同じ臨職さんは私より少し年上くらいの方でその当時30代でしたが建てた家が震災で全壊したそうで一晩中寒い中近くの建物の屋上で過ごしたそうです
かける言葉も見つからなかったです
陰性症状でしたが発展途上国で精神病が少ないといわれているのがわかる気がします 多分精神病とされる人はいるのかもしれませんが 動かなければ生活できなかったです
被害にあった家からの盗難事件や 死体から財布を盗んだりされたりなどがあったそうです
被害の最中残念なことです
被災地を警察官がパトロールしていると
逃げろーっ
という声が聞こえて来たりするという話を聞きました
まだやすまらない魂があるのでしょうか
復興つつありますが心のほうに傷を負われてい方もまだまだいらっしゃいます
被害に合われた方にはお見舞いを申し上げます
震災で亡くなられた方にはご冥福をお祈りします