麦が育つ4月
いつのまにか畑の土も見えないほどになっている





ここのところの乾燥も落ち着いた



未だに昭和の、長野オリンピック前の安曇野の感覚の年寄りが多い


長野道が豊科までできた当初、安曇野インター周辺は田んぼしかなかった


隣家まで500m以上離れているのは当たり前

旧国鉄(JR)駅周辺と国道147号線沿いに住宅は建てられた


今安曇野は農業地から住宅地への過渡期にある


いい加減、昔の感覚で野焼きやら焚き火やらはやめたが良かろうに、なぜ風の強い日に消火手段も携えずに野焼きをするのか…