県道41号線を戻り、大島に向かう県道40号線を右折する

紀伊大島はループ橋で繋がった島で、日本とトルコとの絆を強めるきっかけとなった、エルトゥールル号難破と乗組員救助の舞台となったところだ


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1890年(明治23年)9月16日
オスマン帝国のフリゲート艦エルトゥールル号が台風の影響で紀伊大島樫野崎沖で遭難 沈没し、艦長以下乗員587名が殉職した

樫野崎に漂着した乗員は、台風の中崖をよじ登り、樫野崎灯台に救助を要請

報せを受けた大島の住人が、台風の風雨の中懸命に救助した

その数 69名

嵐が過ぎたあとも、遭難者の引き上げに尽力したという

トルコ(当時のオスマン帝国)にもエルトゥールル号の遭難は新聞等で報道された

そしてその救出劇が、日本赤十字(平時国際活動)発祥の地ともなっている
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さらに歴史的なできごとがあった

ペリー来航よりもさかのぼること62年前(1791年)にこの紀伊大島にアメリカ人が訪れていたのだ
教科書には掲載されていないが(アメリカに公文書が存在)、串本町では大島に日米修好記念館を作って伝えている



本州最南端の町は、知られていない歴史の町でもあったのだ


島を出る前に漁港に立ち寄る


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そこから串本の町を望む
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ここに来て雲が多くなってきた


一抹の不安がよぎるが…


さてと、熊野本宮に
向かいますか