立山黒部アルペンルートが開通したというので行ってみた
黒部ダムより北アルプスの水晶岳だろうか?
長野側大町市の扇沢から、関電トンネルトロリーバスに乗り黒部湖へと向かう
戦後の復興が本格化すると、日本各地で深刻な電力不足がおきた
関西電力は頻発する大阪経済圏の停電に、黒部川峡谷の電源開発を旧日本電力から引き継ぎ、後に世紀の大事業と呼ばれる黒四ダムの建設に着手する
ダムの建設自体は順調に進むのだが、ダム建設の「準備まで」が困難を極めたのだ
1956年(昭和31年)着工時は人力による資材搬入がなされていた
長野県大町市扇沢から、後立山連峰を貫通して資材の搬入を目的とした「大町トンネル」の開通が急務とされ、同年8月に掘削工事が始まる
翌年5月までは順調に進んでいた掘削も、破砕帯にぶつかり難工事となる
関西電力の当時の社長太田垣は、昭和32年8月に周囲の制止を振り切り、掘削現場を視察し激励した
このリーダーの行動に関西電力は、
「鉛筆一本、紙一枚」
に至るまで倹約を励行し、大町トンネル開通に全社一丸となった
1957年(昭和32年)5月
資材搬入の大動脈たる大町トンネルは貫通し、黒四ダム建設は加速していく
後に、
『黒部の太陽』
として映画化され、NHKのドキュメント プロジェクトXの題材ともなった
現在、トロリーバスはその80mの破砕帯をわずか数秒で走り抜けてゆく
思いを馳せる時間もない…
黒部ダムより北アルプスの水晶岳だろうか?

