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第九代の将軍 先代吉宗の嫡男 徳川家重

脳性麻痺があったとされ、発する言語は不明瞭
唯一、大岡忠光という側用人が家重の言葉を理解し、通訳できたとされる

実は女性であった という説が今なおくすぶり続ける人でもあるが、適材適所に人材を配置する人事能力に長けていたと評価する人もいる 



竹下登氏の国会答弁は、

「言語明瞭、意味不明」

と言われた

特に“リクルート事件”の国会でのやり取りはその真骨頂らしい(実際の映像は見つからなかった)

最近は孫のおかげで悪い人でもないと思われているが、当時の日本の最高権力者のしたことは、全てを知る者に詰め腹を切らせ、事件を闇に葬ったのだ




言葉は人にとって道具にすぎない
便利なものになれば凶器にもなる

昨今のグローバル化云々に対し、若いうちからコミュニケーション能力を養おうという風潮ができた

確かに主張をはっきりして白黒を迫る外国人に対しては必要なことかもしれない

だがそれは価値観の押し付けになっていないか?
大事なことかもしれないが、「喋りたくない」という「個性」はどこかに置いてきてはいないか?

言葉で100%自分の意思を伝えることができるのならそれに越したことは無い

だが発する方も人なら受けるのも人で、必ず感情に左右される
同じ言葉でも発する方は怒っていなくても、受ける方は怒っていると解釈したらケンカの元だ
 

むずかしいなあ