3月11日
今年も「閖上の記憶」の追悼式に
参加させて頂き、鳩風船を飛ばしてきました。
ちゃんと自然に還る素材の風船。
彼方の人達へいろんなメッセージを添えて。
悲しみで繋がるご縁は大切と
自死遺族の私も温かく迎えてくれる皆様です。
もちろん、
メッセージを書いたり形にしなければ
思いは届いてないなんて思ってませんが、
悲しみで繋がることが
生きなおす力となったり
歩み続けるエネルギーになったり、
日常の大切さを伝える機会になったり、
心身共に安心、安全に暮らせる世の中に
思いを馳せる機会になったりと
いろんな側面があるとの思いと、
思いもよらない時と形で
愛する人との別れを経験した者として
同じ悔しい悲しい愛しい思いの部分で
共に見えない彼等へ思いを馳せる時間を
共有したいという思いで出席しました。
もしかしたら、
柳田先生にも会えるかも⁉️との下心も
ちょこっと持ちながら参加😝
でも、
今年はお見えにはなっていませんでした。
体調不良でないことを祈るばかりです。
息子さんとの別れの時を書いた
著書「犠牲」に「分かる」「同じ気持ち」
「そんな気持ちだった」
と自分でも整理のつかない気持ちを
たくさん見つけて、
日の浅い頃に随分と救われました。
今回の著書にも「生きなおす」
という表現が出てきますが、
私は事後3年ほど経った頃に
職場の本棚にある冊子の見出しに
見つけたのも「生きなおす」でした。
薬害エイズの患者と家族の
調査の報告書でした。
突然降って湧いた事に翻弄された人達の
「生きなおす」という表現が
ああ!私もまた
「生きなおしているのだ」と思いました。
生きなおしているのだから
辛く苦しくて当たり前かと思い、
ブログの紹介文を数年前に書き換えました。
ただ、私の場合、
「次男と共に生きなおしている」感じ。
次男との関係も作り直しているような
次男に教えられて導かれているような、、
そんな感じで今もいます。
今回の著書でも
ココロに染みる言葉や
発見もたくさんありました。
私も「死後生」を感じながら
共に生きています。
医療従事者としては、
大したことを全く成していない
動いていない気持ちで
心が痛むことが多々ありましたが、
自分が出来るほんの些細なことを
積み重ねていくしか出来ないのだから。
成すこと、動くことの大小は
考えないことにしました。
今回、柳田先生に会えなかったことで、
やっぱり会いたい人には会いに行き、
したいことは後回しにしない!
を更に意識しました。
次男と対話しながら、
自分の心の奥を見つめながら、
優先順位をつけながら、
感情に素直に従いながら、
時を重ねていこうと思います。
コロナ禍になって中止にしていた
陸奥国分寺のご住職とのランチ会も
3/10に5年ぶりに再開しました。
年に3〜4回で、次は6月中旬の予定です。
これも、私のちいさな出来ることの一つ
だと思っています。
明後日19日で丸8年になります。
まだまだ一緒にこの世を生きていこうね。
ブログを下書きに入れた時
モンハンの龍のサインを貰いました💜
Dありがとう‼️
今も「生きなおし」中。



