先週の土日を使って春の福島に行って来ました。
目的は、チャリティーイベントはらからの歌声で毎年支援させて頂いてる「福島県の児童養護施設の子どもの健康を考える会」に支援金を届ける為だったんですがね・・・
でも、せっかくだから大好きな南会津の田島でライブもやって来ちゃいました。w


しかし、田島はまだ八重桜が咲いていて・・・感動してしまいました!
まさか大好きな桜に今年再び出逢えるとは思ってもみませんでしたよ。



田島の南泉寺も桜こそ咲いて無かったけど、茅葺きの山門が相変わらずの情緒を醸し出していました。
ここの七平桜は見事な垂れ桜で、今年も田島のみなさんを楽しませてくれたんでしょうね。

そんで、ライブは最近恒例になりつつある会津田島祇園会館で。


足と手がつるアクシデントはありましたが・・・w。
来月リリースする新曲「アグリの大地で」と「トマト色の黄昏」の2曲もなんとか披露できたし・・・良しとしますか。
ご来場頂いた田島のみなさん、祇園会館のスタッフのみなさん、ありがとうございました。
しかし、やっぱライブ前に温泉入っちゃ・・・アカンね!ww




で・・・その日の夜は気の許す同士でいつもの針生はツムットでの宴。
ホッと安らげる場所が有るってのは良いよね〜。
いつもありがとう、ママリン!


翌日の針生は曇り空・・・
それでも爽やかな高原の朝でした。

カカとさくらと遊んで・・・

針生に咲くシラネアオイを愛でて・・・

久しぶりのツムットの朝食を食べ・・・

また夏に会う約束をしてツムットを後にしました。

今度来る時は・・・まいまいはお母さん、ママリンはお祖母ちゃんだね!
まいまい、元気な赤ちゃんを産んでね〜!!

そして・・・午前11時にいつもの待ち合わせ場所の福島市にある「椏久里」で、今回の旅の目的である「福島県の児童養護施設の子どもの健康を考える会」の共同代表の澤田さんにチャリティーイベント「はらからの歌声vol.7」で皆様から預かっていた支援金をお渡ししてきました。

更にもう一つの目的だった、ここ「椏久里」をモチーフにした新曲「アグリの大地で」をマスターご夫婦に聴いてもらう事が出来ました。
今は福島市内で営業されている椏久里・・・
元々は飯舘村に山の珈琲店としてありました。
飯舘村で始めた珈琲店の経緯から2011年の東日本大震災で発生した福島第一原発事故後の記録をまとめたマスターの著書「椏久里」を参考に書き上げた曲「アグリの大地で」・・・
今、思えば・・・とてもお辛い思いを沢山されたのに、いつも笑顔で迎えてくれたお二人に心を動かされたのかもしれません。
その笑顔にお会いしてから2年目にしてようやく出来た曲・・・椏久里の事やご夫妻の事や飯舘村の事や、色々な事を咀嚼するのに2年掛かりました。
でも、その甲斐あってとても喜んで頂けて・・・僕もホッとすると同時に一緒に貰いうるうるしてしまいました。

 

何人か噂を聞き付けて来たお客様もいらっしゃったので、お礼にミニライブを少々やらせて頂きました。
みなさんも椏久里の事を知ってらっしゃったので、喜んで貰ったみたいでほんとに良かったです。
facebookをやられてる方はこちらをクリックして頂けると、その時の模様が少しだけ見れますよ。

もっともっと椏久里の事を沢山の人に知ってもらいたい。
そう思って曲を作って・・・歌にして・・・
でも、そう思えば思うほど自分の力の無さを痛感していつもいつもやりきれない気持ちになります。
だから・・・せめてこのブログを見てくれた方々だけでも一度訪れてみてください。
笑顔の素敵なマスターが美味しい珈琲をいれてくれます。
チャーミングなママさんが美味しいケーキを出してくれます。
山の珈琲店「椏久里」は本当に温かいお店ですよ〜。是非是非!
そんで僕の夢は・・・いつか飯舘の椏久里でマスターの入れた珈琲とママさんの作ったブルーベリーのケーキを心行くまで堪能する事です。
勿論、飯舘の・・・アグリの大地を見ながらね!


帰りは飯舘村を抜けて南相馬から国道6号をいわきに南下するルートで帰路につきました。
飯舘村には「までい館」と言う道の駅が出来ていました。
とても綺麗だったけど・・・道を挟んだ丘の上に建つ子ども達の声を失った学校が対照的で物悲しくもありました。


飯舘村の椏久里にも寄ってきました。
マスターが時間が取れる日に少しづつ整備をしてるみたいなので、二年前に見た荒れた感は無くなってました。
飯舘村も復興に舵を切り始めてるみたいで・・・

でも、椏久里の前にある元は田んぼだった所なのかな?未だにフレコンの山が幾つもありました。

走れば今でも至るところに・・・
それでも村民の帰還を促している飯舘村・・・
あの日から7年間、飯舘村を一個人として見つめ続けてきて・・・今は何が正しいのか何が間違ってるのかわからなくなってきてしまったと言うのが本音です。
7年前の秋、初めて飯舘村を通った時のあの衝撃は絶対忘れちゃいけない事だけど・・・
それはそうなんだけど・・・
椏久里のマスターの夢を話すママさんの笑顔が今も忘れられません。
「壮大な計画があるんだよね?ね、もう一度あの場所でブルーベリーを育てて・・・母家を改築して・・・ね!」


そして南相馬から国道6号 へ・・・
浪江に向かう前に四年前に立ち寄った原町区小浜にもちょっと足を伸ばしてみました。
四年前に見た光景とは違って、瓦礫は撤去されて更地になってました。
あの時見て感じた思いはここに綴ってあります。宜しければ是非ご一読を。

四年前に初めて通った国道6号の記録も・・・https://ameblo.jp/r-fukuyama/entry-11961225252.html
四年ぶりに通った国道6号線は・・・あの時とあまり変わって無かった様に感じました。
双葉町へ入ると信号機は黄色の点滅に変わり、未だに交差している東西へ伸びる道の入り口にはバリケードや鉄格子が張られ通れなくなっています。
変わった事と言ったら・・・7年と言う月日が緑を一層濃くして、草木に建物が家屋が埋もれて自然に帰ってく町並の様子ですかね・・・
相変わらず異次元に迷い混んだ感覚になりました。
と、同時に・・・絵も言えぬ怒りが込み上げて来ました。
この国って、いったい何なんだろうって・・・
双葉町のモニタリングポストでは0.82マイクロシーベルトを示してたし・・・
乱暴な言い方かもしれないけど・・・
この国に住んでる人達はみんな国道6号線を一度は通るべきだと思いました。
冷やかしでも何でもいい。
とにかく今の福島の現状を肌で感じて、個々が一人づつ他人事ではなく自分自身の事と思い真剣に考えて欲しいと。
何が出来る訳でもないかもしれない。
何が変わる訳でもないかもしれない。
そうだとしても・・・
それでも・・・
まだ、ここは何も始まってもいないし何も終わってもいないんです。

「壮大な計画があるんだよね?ね、もう一度あの場所でブルーベリーを育てて・・・母家を改築して・・・ね!」