おはようございます
内藤です

 

第97回のテーマは
「テニスの基本」

 

先週のレッスンテーマ
試合

 

ダブルスの試合をたくさんしてもらったんです

 

初級から上級まで

見ていて思ったこと

全レベル共通で感じたこと

 

それは
テニスの基本を疎かにし過ぎている
ということ

 

少し厳しい言い方になりますが
ほんとにそう

 

テニスの基本中の基本
大前提

 

ツーバウンドする前に取る
相手コートに返す

これです


以上です

 

えっ?
当たり前でしょ
って思いますよね?

 

そうなんですよ

そんな当たり前のことをですよ
大の大人が理解していないのか何なのか
まるっきり実行しないんです

 

ツーバウンドしたらダメだ
どこに打ってくるんだ!?


そう思ったら構えますよね

 

相手コートに絶対に入れる
あの枠内にボールをおさめるんだ


そう思ったら
ゆっくり力強く打ちますよね

 


緊張感のない構え
出遅れる一歩目
フォームにとらわれるあまり
適切な打点に入れない

 

いざ打つ時
相手コートに入れることよりも
自分がどう打つか
いかにすごいボールを打つか
それだけを考えた枠外へのショット

 

・・・

 

基本に立ち返りましょう

 

第一の基本
ツーバウンドする前に相手コートに返す

 

そして第二の基本
対人競技であるということ

 

相手を見ましょう

 

どこにどんなボールを打つのかは
相手によって変わります

 

極端なことを言うとね
一般の方ってね
相手が初心者でもファーストサーブをいつも通りバシッと打つんですよ

 

だって練習してるから
こうやってトス上げて
こうやってラケットを使って・・

 

どうでもいいやん!
そんなん関係ないやん!

ポォーンって入れとけば
大丈夫ですやん!

 

気付かないんです


相手と面と向き合っていないから

 

テニスをはき違えているから

 

テニスを
自分がどういう体の使い方で
どういうプレーをするか
そんなことだと思っているんです

 

そんなもんどうでもいいんです

 

相手とコミュニケーションを取りましょう


自分ばかり見ないで
相手の目を見ましょう

 


ラケットを使ってボールを相手コートに返す
相手と一つのボールをやり取りする

 

この基本を超えてね

やれどうやって体を使うとか
回転をかけるとか
ポジションをどうするとか

そんなことにはなりません

 

上っ面を気にし過ぎなんです

 

ラケットの重さとかバランスとかもどうでもいいです

ガットの種類とかテンションとか
弱い人ほど気にするんです
弱い人ほど詳しいんです

 

ファッションとしてのテニスならば
それでもよいでしょう

 

でもね
試合に勝つ


そこを目指すなら
やはり基本です

 

今一度テニスの基本
スポーツの基本を考えて実行してみましょう

 


今日は基本を考えよう
例えば料理
料理の基本
それは食べられる物であること
食べる人がいること

いくら包丁さばきが天才的で
味付けが絶妙でも
食材が毒キノコだったり腐っている物だったら・・?

5人家族で食べる人が5人
しかも子供が3人いるのに
超絶旨いからあげが一つ・・・

基本を飛び越えて上っ面の「技術」に走る
テニスに限らず何でもあり得ます
根本的な基本、大前提を見据える習慣を付けましょう!

 

 

おはようございます
内藤です

 

第124回のテーマは
「イベント」

 

今週はGWイベントを振り返ってきましたが
最後の今日は
イベント全体について

 

イベント個々の話ではなくて
イベントWEEK

 

皆さん参加しましたか?
参加すれば上手くなりますよ
テニスが変わるきっかけを掴めますよ
っていうこと

 

 

イベントWEEK


どんなイベントにするか
一般かジュニアか
どの曜日、どの時間にどんな内容を持ってくるか
コーチは誰にするか

国立・八王子・調布のバランスはどうするか
スタッフの休みはどうするか

 

色々な要素を考慮する中で
やはり念頭に置くのは2つ

 

1つは
売上をあげること

 

これは当然
スクールを運営するうえで欠かせません

 

そしてもう1つ


皆さんに足りないものは何か
どんなイベントをすれば皆さんのテニスがレベルアップするか

 

意外とね
これを重要視してるんです

 

売上だけだと思ってたでしょ?

 

当りのいいイベント配置にすることだけを
考えてるかと思いきや・・

 

けっこう皆さんのテニスのことを考えているんです

 

ジュニアもそう
このタイミングで何をすれば
全体の底上げに繋がるか

 

一般クラスはストレートに
何が不足してるか
技術に限らず、考え方や視点
レベルアップのために欠落してる部分

 

そんな内容を
通常レッスンではカバーしきれない内容を
イベントとして取り上げているんです

 

だからね
どのイベントでもいいんです

 

お金と時間を惜しまずにね
参加しまくれば必ずレベルアップします

 

1回のイベントで急激に伸びなくても
必ず
そう、100%
皆さんのレベルアップのきっかけになるんです

 

もう一度言います

 

これは100%です

 

もしあなたが中級女性なら
中級女性が対象のイベントはどれでも
必ずレベルアップします

 

断言します

 

なぜなら
イベントを組んだのが私だからです

 

私に限らずどのコーチでもいいんですけどね

 

テニスのコーチが
中級の方にはこれが必要
そう考えて設定したイベントであれば
中級の方は必ず、絶対にレベルアップします

 

なのにね
たまにいるんです

 

イベントのラインナップを見てね

あ、これはタメになりそう
ストロークはいいか・・
ボレーはした方がいいかな
もっとこういうのして欲しいな

等々

 

自分でね
何やら取捨選択の判断をしているんです

 

いや、まあね
スケジュールの兼ね合いや
料金的なことで検討をするのはいいんです

 

でも
内容は無理でしょう


皆さんが自分のテニスに何が必要か


そもそも自分のテニスを正当に評価すること
それが出来ないにも関わらず
内容を考慮する意味が分からないのです

 

楽しそうだな
とか
厳しそうだな
という感想を持つの構わないのですが

 

判断
これは無理

 

中級の方が
中級の自分にどんな練習が必要か

中級のレベルにしかない人には
そんな判断は出来ません

 

上級も一緒ね

上級といえど
コーチからしたら全然未熟

コーチがね
あなたにはこれが必要
と言えばそれが必要なんです

 


「声出しレッスン」

中級対象のイベントがあったとします

 

あ、私はいつも声を出している
これは中級でも他の方を対象としているのだな

 

いいえ
違います
あなたを対象としているのです

 

中級が1,000人いたら
どのイベントも
その1,000人を対象にしているのです

 

1,000人ともに足りていない
必要な内容なんです

 

勝手な判断をするのはやめましょう

 

このイベントってどんなことをするんですか?
そんな質問をするのもやめましょう


聞いても理解出来ません
聞いたところで
じゃあ、参加しよう、やめよう
などという判断もすべきではありません


厳しい言い方になりましたが
このことについてはまた改めて書きますね

 

次回は夏休み頃
イベントWEEKがあります

レベルアップしたい方は是非参加してください

 


今日はイベント参加
レシートに書かれたキャンペーン参加でもいいでしょう
イベントへの参加癖を付けて
自分の可能性をどんどん広げていきましょう

 

 

おはようございます
内藤です

 

第123回のテーマは
「ネーミング」

 

GWイベントまとめ
今日はショット別レッスン

 

色々やりました

 

「緩と急と」
「パンプアップテニス」
「ミスらないボレー」
「フットワーク」
その他あれやこれや

 

ショット別に限らずイベントの名前
そのネーミングにはいつも気を配ります

 

昨日書いた「令和スペシャルレッスン」ではないですが
イベント名で集客が左右されますからね

 

イベント名でごまかしときゃいい
っていうことではないですよ

 

イベントの内容
コーチそれぞれのパフォーマンスには
絶対の自信がありますから

 

そんな素晴らしいイベントをね
ネーミングのミスで集客出来ずに
台無しにしてしまうわけにはいかないですから

 

ショット別は特にネーミングにこだわります

 

「ショット別レッスン」とはしてあるものの
ほとんどはショット以外
テニスを構成するショット以外のことについてやります

 

ボレーやストロークをするときも
その打ち方ではなく
その意図や意味
どの場面でどんな考え方で打つのか
そこが分かるようなネーミングにします

 

皆さんにね
知って欲しい
考えてほしいんです

 

テニスの上達で必要なこと
それはショットだけではない
打ち方だけではない
ショットの集合体がテニスではない

ショット以外の様々なプレーや考え方
それがテニスのレベルを大きく左右するということを

 


ショット以外のことばかりなのに
「ショット別レッスン」にしてる理由もそこです

 

まず疑問を抱いて欲しいんです
何か引っかかって欲しいんです

 

えっ?
ショット別ってなってるのに
全然ショットのことしないんだ
って

テニスってショット以外にも
こんなに色々な項目があるんだ
っていう視点を持って欲しいんです

 


一つ一つのネーミングにも意味はあります

 

例えば「実践的ラリー」

 

いや、まあね
ラリーなんてものは実践的ですよ

 

実践的ではないラリーなんてないですよ

だから付ける必要ないんです
「実践的」だなんて

 

でもね
ただ「ラリー」ってしていると
何だか味気ない・・


ということではなく


何も思考が生まれないでしょう

 

あー、ラリーするんだー
って
ボールを打ち合うんだー
って

 

そんな思考停止をしたバカじゃないんですよ

ラリーをする人間は

 

我々が言う「ラリー」にはそもそもね
色々な思考、思案、配慮、コミュニケーション
その全てが内包されているんです

 

「ラリー」と聞いたら
ボールを打つことはもはやメイン作業ではないんです

 

そこを感じ取ってもらうために
「実践的」と入れているんです

 

この3文字が入るだけで
あっ、色々しないといけないのかな
ただ打つだけではダメなのかな
という考えが浮かぶと思うんです

 


ラリー系で言うと・・


「ラリーを切る」


というのもやりました

 

テニスはラリーを切るスポーツです

そうしないとポイントを取れません

 

ポイントを取る場合で言うと
自分のエース
相手のエラー
これを目指す

 

そのためのショットやポジション

ラリーを切るための
あれやこれやをするのです

 

ここで勘違いするアホが出てくるんです

 

ラリーを切る
この前提となっていること

 

分かりますよね

 

ラリーをしている
ということです

 

まずはそもそもね
ラリーをしないことには始まりません

 

ラリーを切る
を勘違い、というか勝手にアホな解釈をして
ラリーをしない
に変換する人が多数いるんです

 

すぐにバシーって決めにいくんです

 

もう少し考えて頂きたいものです

 


名前には意味があります
ネーミングした側の意図や思いが秘められています

 

名前を付ける側に
配慮や意図、知性や感性が必要なのと同時に

名前を付けられた側
そちらにも意味を察する理性が求められるのではないでしょうか

 


今日は名前で考えてみよう
友人の名前や会社名
そこには必ず何かしらの意味が内在しています

以前に自分の名前の由来を知りましょう
というのは書きましたが
自分以外の名前にも興味を持ってみましょう

 

 

おはようございます
内藤です

 

第122回のテーマは「不変」

 

GWイベントのまとめ
今日は「令和スペシャルレッスン」

 

言いたかっただけです

 

令和って付けとけばいいでしょ
そういうの好きなんでしょ
的な・・・

 

あるじゃないですか
ケーキ屋とかでさえ
「令和セット」
お好きなケーキ5つで2,019円みたいな・・

 

そういうのね
買っちゃうタイプなんですよ私

 

でもまあ
うちのスクール生にそんな字面だけに
踊らされるような人はいないかな
と思っていたら

 

即満員!!

 

一番キャンセル待ちも出たイベントになりました

 

何の内容も書いていないのにですよ

大丈夫ですか皆さん

 

あ、いえ・・

 


でね
やったんですよ
普通に

何の特別感もないスペシャルレッスンを・・

 

一応ね
令和とか付けちゃってるから
ひとまず平成を振り返ることにしたんです

 

平成のテニスシーン

30年分を5分で振り返ってやりましたよ

 

フォアハンドストロークの球出し

 

まずは
横向いて左手を前
体重移動でボールを押していく
打点は腰辺り

平成初期はそんなフォームが主流

 

そこから劇的に変わっていきました

 

そもそも昭和はサーブとボレー
テニスといえばサーブとボレーがメインでした

 

平成になってストローク
とりわけフォアハンドストロークがテニスの大部分を占めるようになります

 

横向き体重移動から

トップスピンの登場


オープンスタンスで体の捻転を使って
豪快に回転をかける

 

強い体が必要になり
テニス選手がアスリート化していきます

 

スピンが主流になると
高い打点で打つケースも多くなり
フォアのテイクバックが高くなります

 

左手をスロートに沿えて
ラケットを立てて
高くテイクバックする形が増えていきます

 

スピンと高い打点のせめぎ合い
テニスがパワー化していきます

 

そこに現れたのが


ロジャー・フェデラー

 

パワーテニスをスピードによって粉砕します

 

ポジションを上げてライジング

ストロークのボールスピードも一気に速くなります

 

そして現在

まだスピードテニスが全盛ですが
次のテニスシーンの鍵を握るのは錦織圭

 

日本人というひいき目なしにそう思っています

 

ポイントは「遊び」

 

ドロップショットやボレー
ときおり混ぜるループボール

 

パワーとスピードがベースにあるうえで
多様なショットやプレーを織り交ぜられる
本当のオールラウンドなプレーが出てくると思います

 

まあ、錦織はサーブがちょっとね・・・

 

見ていて楽しいプレーヤーが次々に出てきてほしいものです

 


そんなことを振り返ったのですが
ここで気を付けること

 

それが「不変」

 

平成のテニスシーンの変遷を見たとき
やはり、多くの人が
「何がどう変わったのか」
に目がいく

 

しかし大事なこと
本当に重要なことは

 

「変わっていないこと」

 

この激動のテニスシーンにおいて
「変わらなかったこと」
ここが大事なんです

 

本物のプレーヤーはそこに目がいく
着目すべき点に違いがあるのです

 

この「変わっていないこと」
しっかり構える
相手を見る
一歩目の反応を早くする
声を出す
相手に敬意を持つ
等々

そこを鍛えるんです

 


本物は直感的にパッと気付きます

 

幾多の変化の中にある
変わっていないこと
その本質
核となること

 

そこに着目して
鍛錬を続けた者のみが
変化に惑わされず
上手く対応できる
そして、変化を生み出す側のプレーヤーになっていくのです

 

変わりゆくことだけに目がいく人は
その上っ面
流行りの部分の練習に明け暮れます

そして何の土台も芯もない
軽いプレーヤー
変化に翻弄され続ける弱い選手になってしまうのです

 


もう一度書きます

 

幾多の変化の中にある
変わっていないこと

ここを見つけられるかどうか

 

テニスに限らず人生や時代の変化の中

非常に大事な視点だと思います

 


今日は基本練習
スイートスポットでボールを捕らえる
この基本中の基本
絶対変わることのない基本を徹底してみよう
いかに自分が疎かにしているかに
気付かされることでしょう

 

 

おはようございます
内藤です

 

第121回のテーマは「宙船」

 

ゴールデンウィークはいかがでしたか?


ハワイですか?


やっぱりワイハですよね?

 

10連休なんてめったにないですからね

 

まあ、本当に10連休の人がどれほどいたかは分かりませんが・・・

 

私ですか?

 

10連勤ですよ

 

カレンダーに逆らうのが私の生き方
政府が決めた日程などに左右されない
私の休みは私が決める
私の仕事のスケジュールは私が決める
これが私の生き方、その流儀です

 

・・・

 

うわ、不必要にかっこいい・・・

 

NHKのプロフェッショナルのオファーでも来ないかな・・

 


でね

今週のrebornはGWイベント


そこでの気付きや発見を書こうと思います

 

 

まずはやはり
ジュニアキャンプ

 

2泊3日で行ってきました
山中湖に

 

怪我やトラブルには気を遣いますが
今回も無事に楽しく終わりました

 

今回はね
小学2、3年生の子が多かったんです

 

お泊りが初めて
お母さんが一緒じゃないと寝られない
夜泣きやおねしょが心配
不安になって帰りたがるのでは・・

 

参加させるかどうか
親御さんも悩んでいました

 

でもね
行ってみるとどうでしょう

 

全くです
何の問題もない
ノープロブレム過ぎて笑えるくらいです

 

何の心配してたん?
いざ行くとめっちゃノビノビ

 

むしろ親御さんがいないからこそ
ノビノビしちゃってますからね

 

 

そうなんです

心配無用なんです

 

子供は親が思っているよりずっと強い
ずっとしっかりしている
何とかしていくもんです


親の過保護や過干渉などとよく言われますが
この件もそうでしょう

 

この子大丈夫かな
迷惑にならないかな

 

それもやはり過干渉
親のエゴの表れです

 

親御さんの中に少なからずあるのです

「この子は私がいないとダメだ」

 

その感じが子供に伝わると
「わたしはお母さんがいないとダメだ」

と子供側が思ったり

 

お母さんがそう思っているから
お母さんの前ではダメな自分を演じる


甘えやぐずったりなど
そうすることで
「お母さんの期待に応える」ということを
子供側がするようになるんです

 

実は子供が気を遣っているんです
親に

 


「この子は人見知りなので」

 

それを聞いた子供は頑張って人見知りになっていきます

 

お母さんを嘘つきにさせるわけにはいきません

 


「この子はまだ心配なので」

 

頑張って心配を与える言動をします


でも親御さんがいなくなると
そんな期待に応える必要はなくなります

 

本当にノビノビしています

 

これは普段のレッスンでもそうです

親御さんが見ていると
「手のかかる自分」アピールをするんです

 

ミスで落ち込んだりイライラしたり

 

親御さんが見ていないときの方が
何の問題もなくやっています


これはね
だからと言って親御さんが放置すればいいというわけでもありません

 

親の過干渉はよくないですが
無干渉、無関心もよくないですから

 

「今日のレッスンはどうだった?」
「キャンプ楽しかった?」

と子供に興味を持って聞いてあげる
話をしてあげるのは大切なことです

 


でもね
やはりそれが度を超して
過干渉になってしまうと
子供の成長の足かせになってしまうことがあります

 


かわいい子には旅をさせろ

とはよく言ったものです

 

山中湖に行くキャンプも旅ですが
人生とはそれそのものが旅です

 

子供が人生という旅を
楽しく力強く進んでいくために
ある一定の距離を保ってケアやフォローをしていくことが大切ですね


そして自分自身もまた
人生を旅する


自分の力で切り開いていく

そういう姿を子供に見せていくべきですね

 


今日は宙船
今日という一日を旅しよう!

 

その船を漕いでゆけ
お前の手で漕いでゆけ
お前が消えて喜ぶ者に
お前のオールを任せるな

 

自分の船は自分で
子供の船は子供にオールを任せましょう!

 

 

おはようございます
内藤です

 

今日はお知らせ

 

GWの今週はrebornはお休みとさせて頂きます

 

明日からジュニアキャンプにも行くので・・

 

でね
お知らせだけだと味気ないので
ちょっと雑談でも

 


今日が最後です
最終日です

 

平成最後の一日


いやー何でしょうね
この感慨深さ

 

毎年末なんてね
何もないですよ

 

今年も生きてたなー
くらいで


お正月はテンション上がりますけどね

 

平成最後の今日

何だかしみじみ物思いにふけっているのは私だけでしょうか

 


息を切らしてさ
駆け抜けた道を
振り返りはしないのさ

 

なんてミスチルの歌を紹介して
私は振り返りなどしない
とか言っていましたが

 

今日はめっちゃ振り返りましたよ

 

 

平成になったのが私が小学3年のとき
私の人生のほとんどが平成でしたからね

 

平成2年
平成になってすぐ
父親が亡くなりました

 

私は三人兄弟の末っ子なのですが
母親が気合で男三人を育て上げてくれました

 

いやほんとに
気合以外の何物でもなかったと思います

 

うちの兄弟ね
みんな勉強は出来るんです

 

母親には一度も言われたことはありません


勉強しろって

 

それはそうです
子供になんてかまっていられません

 

母親はね
おそらく勉強は苦手なんです

 

でもね父親が死んだ後
公務員試験に受かるために
凄まじい勢いで勉強してたんです

 

気合だけは半端ないからなあいつ・・


じゃあね
やっぱりみんな勉強するんですよ

 

今でも覚えています

父親がテレビをよく見ていたので
仏壇のある部屋は
テレビを一日中付けっ放しにしてたんです
誰もいない時も、夜中も・・
暗い雰囲気になると嫌やからって・・

 

その狭い部屋で
テレビも付けっ放しのまま
家族全員が黙々と勉強をしてるんです

 

今思うと
それぞれが自分がしっかりしないと
と思っていたのでしょうね


そんな激動からスタートした平成

私の人生を色々と彩ってくれました

 

そんな感覚なのでしょうか

 

昨日もね
テレビを見ていると


「ありがとう平成」
というフレーズがよく出てきます

 

なぜでしょうか

 

不思議なことです

 

なぜ
我々は
「時代」という目に見えないもの
その「時の流れ」という
人格も心も何もないものに対してさえ
「ありがとう」
という思いが沸き上がってくるのでしょうか

 

これは日本人特有の感覚みたいです


「平成」という「時代」が
私たちに直接何かをしてくれたわけではないですからね

 

むしろ時代を作ったのは私たちです


でもね
それでもね

「ありがとう」なんです

 

それは決してサンキューではない
してくれたことに対するthank youではない

 

有り難いんです

 

色々な人、もの、全ての形あるもの
形はないけどやはりそこに感じることの出来る何か
その全てが有り難い


そんな一つ一つの奇跡がこの時の流れを形成している

 

「ありがとう」
です

 

「ありがとう平成」

 

このフレーズを見たとき
聞いたとき

あー、日本人って素晴らしいな
日本語って奥行きがあって、
それでいて全てを包み込むのだなー
って温かい心持ちになりました

 


平成最後の日

 

有難う

 

この有り難い奇跡


「今」「ここに」存在するという奇跡を再認識してみるのもよいでしょう

 


では今週はGWを目一杯楽しみましょう

 

 

memento mori

 

 

 

おはようございます
内藤です

 

第118回のテーマは
「アンチアンチエイジング」

 

昨日の
運転免許証返納に対する意見ね

 

高齢者批判とも取られかねないので
ちょっと補足というか何というか

 

別にね
高齢者が嫌いとか
邪魔だとか
そういうわけではないんです

 

じいちゃんばあちゃんは好きですよ

 

今この日本があるのは
高齢者の方々のおかげです

 

色々な経験や知識があって
心が大きく深くなっておられる方と
お話をするのは勉強にもなるし楽しいです


ただね
そうじゃない方も多くいます

 

昨日も書きましたが
免許証返納に意味不明な難癖を付けて拒否する人

わがまま放題をするご老人もいらっしゃいます

 

そんな高齢者が多いという問題

 

私が批判というか
指摘したいのはここ

 

現代の日本社会が抱える一つの大きなテーマ

 

歳の取り方
高齢者へのなり方
高齢者としてのあり方
ここに対する意識が歪んでいるという点

 


例えば
古代のインド


こんな人生の考え方がありました

 

人生を4つのパートに分ける

 

学生(がくしょう)期
家住(かじゅう)期
林住(りんじゅう)期
遊行(ゆぎょう)期

 

 

学生期とはそのまま
働くまで、社会に出るまでの勉強期間


知識やスキルを身に付けるための期間です

 

 

家住期


仕事をして
家庭を持って子を育てるという期間

 

 

林住期


仕事を終え、子育ても終え
バリバリ働くことをやめて
これまでの人生を振り返り
今後の進むべき道
自分のあるべき姿を模索していく期間

 

 

遊行期


これまでの人生で得た経験や知識を
若い世代に伝えていく期間


そして
衰えゆく体力
出来ることも少なくなり
子供へと返っていく中で
「死」へと向かう
「死」と向き合い
そして死にゆく期間

 

 

このように
人生をその時々でしっかりと区切り
自分は今ここら辺だな
もうすぐこの期間に入るのだな

そういう心持ちで
明確かつ適切なビジョンをもって
人生を送れるようにしていたのです


日本にもかつてそのような時代はありました

 

しかし戦後はどうでしょう

 

政教分離の名のもと
「人生」や「死」
こういった『死生観』
宗教的側面を持つ知恵や考え方について
適切な教育がなされてこなかった

 

一方で医学やテクノロジーは発展を遂げ
人はいつしか
『死』を遠ざけ
『老い』を否定し
言ってみれば
不自然ともいえる
歪んだ「健康」「若さ」を身にまとい始めました


アンチエイジングなどというものが
もてはやされていますが
この歪んだ現代社会の一端を物語っています

 

 

昔からありました


永遠の美と命を欲する
どの国にも昔話としてあります

 

でも、そんな人物の行く末は
決まって痛い目をみる
永遠の美や命などを求めるのは愚かということ
そんな提示としてのたとえ話なのです

 

それなのに今の世の中は
皆がよってたかってアンチエイジングです

 

テレビでもやっています
あなたの肌年齢は30代です、みたいな・・

 

死ぬまで30代や40代でいたがるのです

 

人生の次の段階
家住期から林住期に行こうとせず
ずっと家住期にいようとする

 

体の衰えを否定し
死から目を背ける


するとどうですか

やはり高齢者が高齢だという自覚がないままに
自分はまだまだ若い
身体的能力も十分ある
車の運転も問題ない
という人が多くなっていくのです

 


アンチエイジングなどとバカげたことを言ってはいけません

 

人は産まれた時から
有限の命
言ってみれば
自爆装置を抱えて人生を歩みます

 

老いること
死にゆくこと
それが自然


恥ずべくことなく堂々と受け入れればいいのです

 

老いて
身体はどんどん衰えていきますが
心は死ぬまで高めることが出来ます

 

自分の培ったものを
この世に還元していくことも出来ます

 

林住期、遊行期の過ごし方こそが
人生を形ある、実りあるものにするのです


高齢の方にこういった教育を促していく
考えるきっかけを持ってもらう
そういう機会や仕組みが必要なのかもしれません

 


今日は歳相応
必要以上のメイクはしない
血圧高めでも気にしない
歳相応の容姿
歳相応の暮らし、食事、考え方
心持ちを澄んで美しくすることと
若くあろうとすることは
似て非なるものだと気付くようにしましょう

 

 

 

おはようございます
内藤です

 

第117回のテーマは
「自分よがり」

 

今週のレッスンテーマ
スマッシュ・・でしたっけ?

 

まあ、スマッシュも以前に書きましたよね
確か・・・

 

読み返しておいてください

 

もうrebornも117回です

 

たまにね
これまでのものを
読み返してみるのもいいかもしれません


私はしませんけどね

 

「終わりなき旅」
ミスチルの名曲のワンフレーズ


息を切らしてさ
駆け抜けた道を
振り返りはしないのさ
ただ未来だけを見据えながら
放つ願い

 


そうですよ

私に振り返ってる暇などないんです

 

立ち止まったり
寄り道したりはしょっちゅうですけどね・・・

 

ずっと走ってても疲れますからね

 

どっかのタイミングでミスチル週間でもしようかな

ほんとね
刺さる歌詞が結構あるんですよ


おっと、また寄り道が・・・

 

で、本題ね

昨日の続きです

 

昨日ね
テレビでやっていたんです

 

池袋の事故について
高齢者の免許証返納について

 

街頭の高齢者へのインタビュー

 

78歳の男性
不自由なところはなく元気とのこと

 

家族には運転は控えるように
免許証を返納するように
と言われているが

 

「いやー、まだまだ現役」
「若い連中の方が危なっかしいでしょ」
「私は大丈夫。心配には及びません」

 

・・・

 

これが現状なのでしょう

 

やはり高齢になると
判断が鈍るのでしょう

 

自分の能力がどうとかではなく
現代日本社会における交通問題
この車社会における
78歳という高齢者の立ち位置

 

そこを客観的に見つめる思考力がもはや欠落している

 

別の話に論点をすり替え
「自分は大丈夫」と
大丈夫という評価が
自分以外の何からも担保されていない状態で
意見しているんです

 

滑稽です

 

78歳はもう運転は無理だよ
大丈夫じゃないんだよ
それは78歳のあなたには理解できないんですよ


ということでも

 

「いや、私は大丈夫」

とか言うんです

 

やはり強制力のある規制を作らなければ
この問題は解決をみないでしょうね

 


それとこのタイプの人間の
もう一つの問題

 

「そんなに心配しなくても私は大丈夫」的思考

 

少しケースは違いますが
根本的に同じようなことが
レッスンでもあります

 

ラリーとかゲームの時にね
コート脇に立ったり
ボールが来そうなところでボール拾いをしたり


サーブ練習の時にね
リターン側の後ろでボール拾いをする人とかもいるんです


サーブのボールが飛んでくるのにですよ

 

でね

「そこボール行きますから、いいですよー」

って言うとね

 

何て返してくると思います?

 

「あ、大丈夫でーす」

 


えーーーーー!!!!!


開いた口が塞がりません

 

いや、あなたの心配はこれっぽっちもしていません

 

もしそうなら
「危ないから気を付けてくださいね」
って言います

 

ただ単にね
邪魔だからどいてね
気を遣ってね
っていうことです

 

打つ人がね
気を遣いますよね


当たったら悪いな
思いっきり打たない方がいいかな
って

 

そんなことも想像できずに
「私のことは気にせず」
みたいなことを言う自分よがりの人が結構いるんです

 


ジュニアにも注意します

 

ボールを打つ子に近づいていたら

「邪魔だから下がりなよ」って

 

危ないから下がりなよ
とは言いません

 

近づいた子がラケットに当たって怪我しようと
それはどうでもいいです

 

問題は当ててしまった子

 

自分は何も悪いことをしていないのに
加害者になるんです


しかもプレーを妨げられることにもなります

 


自分が危ないからとか
そんな自分よがりのことはいいんです

 

問題は周り
周りの迷惑になるか否か

 

自分がどう判断するかではなく
周りの人がどう思うか

それが大事なシーンというのもあるでしょう


自分がどう考えどう動くか
周りに流されずに確固たる自分を持つ

そんな態度も当然大切です

 

ただ、他人の迷惑になる
場の空気を極端に悪くする
という場合は考えを他に及ぼすという想像力・柔軟性が欲しいものです

 


今日は想像しよう
自分の行動・態度・意見・雰囲気によって
周りの人にどういう影響を与えるか

自分がしたいこと
自分を犠牲にして気を遣ってしていること
が、実は他人の迷惑になっている
なんてことがあったりもします

 

 


おはようございます
内藤です

 

今日は月曜日なのですが
先週の火曜日のお休みの分ですね

 

第116回のテーマは
「交通安全」

 

一昨日です

 

池袋の暴走事故

 

87歳の高齢者が車を暴走させ
2人の方が命を落としました

 

車社会に事故は付きものです

 

昨年の交通事故死者数
3532人

 

これは過去最小です

それでも3532人もの命が交通事故で亡くなっています

 

そんな犠牲と引き換えにしても
車の便利さ
これを社会が許容しているのが現状です

 

それはいいんです

 

それはいいけど
やはり腑に落ちない

 

誰もが言っていることですが

なぜ運転免許に年齢制限を設けないのか


18歳以上という下限はあるのに
何歳までという上限は設定しないのか

 

70歳までにして
強制的に免許の返納をすればいいだけです

 

車がないと生活が不便
田舎だととても・・

 

分かりました

 

電動自転車はOKにしましょう

 

百歩譲って原付もOKでいいでしょう

 

私も原付に乗っていますが
自分の運転ミスで
自分が死ぬことはあっても
他人を殺す確率は低いと思います

 

車よりはどう考えてもそうでしょう

 

これで解決するので
早急に対応して欲しいですね

 

まあ、車メーカーや行政のしがらみで
なかなかそうはいかないのでしょうけど・・

 


やはり自分の身は自分で守らないといけないのでしょうか

 

今、思い出すと大阪の交通安全指導って
しっかりしていたなと思います

 

小学校に警察が来て指導するじゃないですか

 

信号なんて信じるなって
指導するんです

 

大阪って交通マナーが悪いですからね

 

信号に自分の命を預けるな
自分の目を一番に信じなさいって

 

まあ、これもどうかと思いますが・・


私もいまだに青信号でも
必ず左右を確認します

 

そうやって自分の身を守る

子供たちにもそう教えていかないといけませんね

 

赤信号は止まれ
青信号は左右の安全を確認してから渡りましょう

これではぬるいですね

 

一歩外を出れば
そこは凶器が行き交う世界

 

いついかなる時も
車には気を付けろ


信号待ちしている時も油断禁物
ハンドル操作を誤った暴走車が突っ込んでくるかもしれない

 

道路はもちろん
コンビニの中でも
公園で遊んでいる時も

 

それくらい言ってちょうどいいかもしれません

 

常に緊張感のある嫌な世の中ですが
冒頭書いたように
これは私たちが選んだ社会

 

便利さを求めるならば
その代償として危険や緊張を甘受しなければならない

 

それが嫌なら田舎の山奥で暮らせばいいだけです


その自由と権利はあるのです

 

それをしないのであれば
やはり自分の身は自分で守りましょう
ということです

 


現状のまま
免許強制返納などの規制を強化して
安全を図るのか

 

自動運転や暴走制御機能などのテクノロジーの進歩によって
安全な社会を実現するのか

 

いずれにしても
痛ましい事故を起こさない努力を
一人一人がしていくできですね

 


今日は交通安全DAY
交通ルールを守るだけではなく
歩いていても運転していても
いつ暴走車が来ても対応できるように
視野を広げて
気を配るようにしましょう

テニスにも通ずるところがありますからね

 

おはようございます
内藤です

 

第115回のテーマは
「教える側」

 

昨日の「する側の視点」の続きというか
補足というか

 

昨日はレッスンの話


受ける側だけではなく
する側の視点
その考え方も持ちましょうということ

 

もっと言うとね

そもそも教わるということ

 

教わる側って
本当にそのことについて
しっかり教わることが出来るのか
身に付けることが出来ているのか
ということ

 

教わるということもまた然り

 

教える側になって初めて
本当にそのことについて学べる
身に付けることが出来るということがあります


私がそう強く感じたのは学生の時

 

塾講師のバイトをしていたのです

 

古文と日本史だったのですが
これはさすがにね


家庭教師とは違ってきちんとしないと問題です

 

内容の薄い授業だと
すぐに親御さんからクレームがあるし
生徒も頭がいいので
間違ったことを言ったり
質問に答えられないと講師失格です

 

まあ、それは勉強しましたよ

 

中学の授業だったので
それほど難しくはないし
高校でさらに深くやっていましたし
センター試験の古文と日本史は満点でしたから!

 

万全だったんです

 

でもね
ひょっとしたら見落としてることがあるかも
そう思って少しの隙もないようにしていました

 

自分が高校受験の時より
確実に頭に入っていました

 

高校受験の時も同じくらいしていましたが
やはりプレッシャーが違うというか


教えるためには
自分が完璧でなければという思いがありました

 

 

実際そうでしょう

 

効率的に
分かりやすく教えるためには
全体を完全に把握したうえで取捨選択

 

何をどのタイミングで伝えるか
逆に何をあえて伝えないようにするか


まとめて全部言ってしまうと
受け取る側が混乱してしまいますからね

 


テニスも同じ

 

コーチをするようになって
本当にテニスのことを知りました

 

それは
フォーム、体の使い方だったり
ラケットの動かし方
ラケットやストリングの道具のこと
ダブルスの動きや戦術

 

自分が現役の時は
そこまで深く考えずに
ただ単に徹底的に体に覚えこませていた感じでした

 

コーチはそれでは務まりません

 

分かりやすく説明しなければいけないケースもあります

 

ジュニア育成もそう

 

スポーツ教育学や行動心理学

子供の体や心、感覚的なことについて
その全てを知らないと
いい指導
本当の意味での育成は出来ません

 

まだまだ勉強中
現場でも試行錯誤ですが
相当身に付けてきました

 

教える立場なので当然です

 

そうするとどうでしょう

私自身のテニスの技術も当然上がります

 

体の使い方
ラケットの扱い方
気持ちのもっていき方
全てが良くなりました

 

私自身が私のコーチをしている状態です

 


教えるということは
生半可な知識では成り立ちません

 

教わっている時の中途半端な知識は役に立たないということです

 

 

教えるということ

 

適切なアウトプットは
膨大で完全なるインプットのうえに成り立つのです

 

教わる側
ではなく
教える側
になることで
そのことの本当の知識を身に付けることが出来るのかもしれません

 


今日は誰かにテニスを教えよう!
あなたはテニスのコーチ
フォアの打ち方、ダブルスの勝ち方
どんな質問にも対応する準備をして
きちんとレッスンしてみよう!
テニスの知識がどんどん身に付きます!