情報元は地政学の専門家、政治評論家であるAlexander Mercouris氏の下のYoutubeビデオです

ウクライナとロシアの代表団はトルコのイスタンブールでミーティングを行いました。そこで合意されたいくつかのことは

 1.ウクライナはNATOには加盟せず中立を維持。

2.ロシアはキエフ近郊、北部の町チェルニゴフ、スーミから撤退する。

3.ウクライナのEU加盟をロシアは支持する。

4.ウクライナへ外国の部隊を駐留させたり、ウクライナ領内で他国と軍事演習もしない。

5.ウクライナはNATOに加盟しない代わりに、ロシアと西側諸国がそれぞれウクライナに安全保障を提供する。

6.5の安全保障を提供される地域には 東部ドンバス地域(ドネツク州、ルガンスク州)とクリミア半島は含めない。6の安全保障を提供される地域から独立を宣言している東部2州とクリミアが除かれたというのは実際にウクライナがこれらの領土をロシアに譲るという意味ではなかったもののそれにつながることを示唆しているわけでこれに危機感を抱いたのが少なくとも2014年からずっとウクライナ軍やネオナチ民兵を軍事訓練してきてロシアへの代理戦争を画策してきた米英でした

 ボリス・ジョンソン当時の英国首相はゼレンスキー大統領に電話をかけ「ウクライナがロシアに領土を譲る可能性があることについて好意的に見ることはできない」と言って翌日にキエフに飛びました。そしてキエフについたジョンソン氏は「もしウクライナがこのような提案に合意すれば米国と英国はウクライナへの安全保障を提供する西側メンバーにはなれない。」と伝えました。つまり米英はウクライナに安全保障を提供しないということはウクライナが当初求めていたロシア側、西側(NATO)両ブロック側からの安全保障というのが崩れロシア側からしか安全保障は提供されない→ロシアと合意したウクライナはNATOから敵国とみなされる可能性があるということでこれはウクライナにとって受け入れられないことになります。ジョンソン氏が付け加えたのが「もしウクライナがロシアと和平交渉で合意すればウクライナはうまく生き残れないだろう」とか「もしロシアとの和平交渉を拒否すれば米英はウクライナが戦争に勝つために必要な全ての兵器を提供する。そしてその”勝利”とは1991年当時(ウクライナがソ連から独立した当時)の領土を取り戻すこと、つまりロシア軍をクリミアから追い出すことだ。」ということでした。ロシアが昨年2月24日から「特別軍事作戦」を開始した際ウクライナは すでにアメリカの兵器の対戦車砲のジャベリンや対空砲のスティンガーミサイルをたくさん持っていましたがこれはトランプ元米大統領もウクライナへの兵器提供を認めているのです。ビデオの一部だけのご紹介ですが以上のような内容が語られています。3月末の交渉ではかなり合意間近のところまでいっていたというのはトルコのエルドアン大統領も語っていたと思います。そしてロシアはこの交渉で合意されたようにキエフ近郊、チェルニゴフ、スーミから実際に軍隊を撤退させました。そしてその後に起こったことが西側メディアによる捏造された「ブチャの虐殺」の大宣伝です。この「ブチャの虐殺」の大宣伝では英国営メディアのBBCが一番熱心に捏造ストーリーを報じていましたがジョンソン当時英首相が露宇の和平交渉を妨害する役回りを行ったことを考えると妙に納得がいきます。「ブチャの虐殺」で「ロシア軍に殺された」として路上に横たわっていた死体は実際はネオナチと一体化していたウクライナの治安部隊による「親露派狩り」で殺害された一般市民でした。ブチャからロシア軍が撤退完了したのは昨年3/30ですがブチャの市長も3/31にはそのことに一切言及せず「市が解放された」と満面の笑顔だったのに4/2になってから西側メディアでいきなり大ニュースになりそれが世界中をかけめぐりました。ですが虐殺されたという市民の写真を見るとなぜかロシア軍から配給された食料を手に持ったままの倒れているもいたり腕に親露を示す白い腕章が巻かれた遺体が何体もありました。

そして衛星写真が公開されたロシア軍・ウクライナ軍が交戦していた通りの交差点のところに横たわっている死体はウクライナ軍が使用したフレッシェル弾というクラスター弾によって死亡した市民と一部ロシア兵の遺体でした。

これらの嘘も見る人が見れば直ぐにバレてしまいましたが未だに信じている(?)のが日本政府と岸田首相です。合意に近いところまでいった昨年3月末の交渉から1年、2003年のイラク戦争に続いて米英が主導になって犯した罪はとても大きい ということがあらためて明らかになったのではないでしょうか。ジョンソン元英首相は「ロシアと合意すればウクライナの安全は保証できない」と言ってゼレンスキー大統領を脅しただけでなく「もし停戦交渉を拒否すれば今後必要な兵器を全て提供する。それでクリミア半島も取り返せる」とそそのかしました。ミンスク合意履行した場合や領土を割譲した場合に起きると思われる、ウクライナのネオナチからの報復を恐れていたゼレンスキー大統領を意のままに操ったわけです。そして米ネオコンが言っているように「最後のウクライナ人まで」戦わせることを決めたということです