好きなエントリーがある。
筆者は催眠術師・心理カウンセラーの人である。
・システムとしての人間、システムを超えたものとしての人間
http://takaishi-hirosuke.com/?p=342
今日、ふと思ったのだけど、
僕はそこそこ仲良くなった他人のことを
あまり大切にしない気がする。
(そこそこ、は顔見知り、ときどき道端で会う、くらいの人たちだ。お互いに、相手に会いたくて連絡するような人たちは、「友人」だと思う)
どうも、仲が悪くなっても、また仲良くしたければ、
こういうことを言えばいいだろう、くらいに思ってしまう。
機械のように、パターンが決まってしまっている人をみると、
別に、後からリカバリーすればいいや、という気分になる。
たいていの人は、誠実で、人あたりの良い人が好きで、
怒らせてもその後で謝って、別に何も根に持っていないように
振舞えば、少しの時間一緒に過ごすくらいは、問題ない。
別に怒られても、嫌われても、なんとでもなると思ってしまうから、
人に対していい顔ができない。角が立つ。
むしろ嫌われて、敬遠されているほうが楽だ。
私から嫌っているのに、ずいぶん馴れ馴れしくしてくる人をみると、
どういう感覚なのか不思議に思ったりする。
嫌いだ、怒っている、止めてほしい、「本当に」などの修飾語を
含めて伝えても、態度を変えない人たちのコミュニティにいると、
ものすごく消耗してしまう。
ああ、これは学校みたいだな、と思う。
そして、些細なことで嫌われる、という経験をしたことがない人たちは、
嫌いだ、と言われても、本当に嫌われていると思わないようだ。
ああ、これは学校みたいだ。
と、思うけど、大人の世界は、
嫌いな人とは付き合わなくてもいいのが素敵だ。
安心して、敬遠しよう。そして僕には友人ができない。