温かい音を創るのが信念だから

そこを聴いてほしい


ある冊子での東海林修先生のインタビューでの言葉です。

創作上の信念だそうです。


北回帰線からは3年ほど経ったころですが北回帰線のことも沢山語っておられます。



詩はもう全部気に入ってたし、それに、あの時は五郎がビブラート入れないで歌ってくれたんだよね。あれは僕は本当に感謝してるよ〜中略〜それはね、ビブラートが悪いって言うんじゃないよ、あのアルバムにはあの歌い方が合ってたの。



東海林先生のご指示を受け入れた五郎さん。いろんな紆余曲折もあっただろう制作過程のひとつが垣間見えるお話


先生は本当は五郎さんにアメリカで自由な時間を過ごして日本で録音してもよかった、というようなこともおっしゃっている



ほぼ43年ぶりに読み返した文章でほとんど忘れていたけれど、案外毒舌だったり、自由だったり、そしてやはり温かく、音楽の世界や五郎さんを見ておられたのがよくわかる


忘れていたから驚くような裏話もあったり、五郎さんが語られる話と食い違う話もある。いや、同じことを言ってるのだけど主語が違う。きっと東海林先生が正しいんだろう、なんて思うねー



五郎さん自身で作曲、プロデュースを望む声が出てきていたこと(シングルに置いてだと思われます)に関しては‥



前略〜人に作ってもらって気に入った歌を一生懸命歌えばいいの。それだけの喉を持ってるんだから。あの甘さはやっぱり素晴らしいし、なかなかある才能じゃないと思うんだ



自分でやってしまって失敗している歌い手の例も挙げていた。確かに、他にもそういう方は何人か思い当たる


五郎さんが人に曲を提供しない、自身にもアルバム以外で作曲はしない、とされてきたのには、先生の影響があったのか、それとも五郎さん自身の心情と先生の考えが一致していたのか

たびたび要望もあっただろうに長く貫いてこられたことだな、と改めて思う



私はこのインタビューを読むことなく、今回のコットン初日を鑑賞しました。


読んでいればよかったかな、とちょっと思いました。


今日のラストステージに参加される方でこれを読んでくださった方がいらっしゃったら、先生の想いの一部を感じていただけたかもしれないです。


私はTOLで改めて先生の想いを感じながら聴きたいと思います。



さあ、ラストステージ

その時その場所だけの

素晴らしい世界を‥






このアルバムの中で

東海林修先生の一番の思い出の曲は…


やっぱり『北回帰線』だね。本当はあのイントロ、バイオリンのソロにしたんだけど何回やっても出来なくてね。ロスではかなりの弾き手だったらしいけど。まぁラリー・カールトンにしてよかったよ〜中略〜もう何年も経ってから、それからでもいいって言われるのが作家としてはやっぱり一番嬉しいよね。それで、あゝ五郎にいいプレゼントが出来たなって思うよ。


せんせい、46年経っていまも聴かれるこのアルバム、五郎さん、今日も歌うよ笑い泣きキラキラ






出典:GMB vol.7