映画監督、大島渚さんがお亡くなりになりました。

今日のワイドショーは、ほぼ全部が真っ先に取り上げておりましたが、まともな論評が出来たのは、宮崎哲弥さんくらいでした。

私は、大島さんの作品は、あの「愛のコリーダ」以降しか見ておりません。その程度のレベルですが、そこらへんの映画コメンテーターよりは、まだましでしょう。

「愛のコリーダ」や、「戦場のメリークリスマス」、「御法度」は、リアルタイムで観ていますから。

テーマは、異端です。「戦場のメリークリスマス」や「御法度」は、もろにゲイです。

ただ、誰があの当時に、デヴィッドボウイ、坂本龍一、たけしというキャスティングを思いつきますか。

今日、盛んにたけしさんの、「メリークリスマス、ミスターローレンス」と叫ぶシーンがテレビから流れておりますが、あのシーンがどういうものか、わかって流しているのか。

たけしさんに、映画というもの、カンヌというもの、監督というものを意識させたのは、間違いなく大島監督です。

ましてや、この映画が作られた頃は、マンザイブームのピークの頃です。たけしさんも、日本でテレビに出ていたほうが、間違いなくお金になりました。

しかし、それだけ売れていても、例えば映画の世界での扱われかたは、あくまでコメディアン、ビートたけしでした。

「戦場のメリークリスマス」でのタイトルロールでは、takeshiとだけ出ます。

まるでその後のたけしさんの、映画での活躍を予期していたかのように。

「御法度」では、まだ素人だった松田龍平さんを、いきなり主役に抜擢します。しかも近藤勇に崔洋一監督、土方歳三にたけしさんと、これまた意表をついたキャスティングです。

誰があの時点で、松田さんを主役に据えますか。これが大島監督の視点です。恐るべき慧眼といってもいい。

「愛のコリーダ」は、何せ阿部定事件です。あの事件を扱うということは、要するに日本においては、一番のキモの部分は、スクリーンに映らないということです。

また、当時の日本映画ジャーナリズムは、あの映画を、フランス資本が入っているという理由だけで、外国映画として扱いました。全編日本人だけが出演し、日本人の監督が演出しているにも拘わらず。

しかも、日本のジャーナリズムは、この映画に関しては、当時のタブーであった、アソコが映っているか、そして、本当にやっているかだけを話題として取り上げました。

だからこそ、国は大島監督を目の敵にしました。タブーのなかのタブーですから。

国が、単行本「愛のコリーダ」を猥褻だと訴えた理由は、私の記憶に間違いがなければ、表紙に使われた牛の頭が、女性のあそこをイメージさせるからというものでした。

決して万人向けの映画ではありませんが、日本よりも、特にヨーロッパで高く評価されたのもわかる気がします。

ちなみに、「愛のコリーダ」のプロデューサーの一人は、あの若松孝二さんです。

合掌。


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