<あらすじ>
子供の頃に、事情により兄妹のように育った黒木聡志と白井優奈。二人は十三年の時を経て、優奈が就職のために上京した東京で再会する。密かに惹かれあいつつも、過去の出来事に縛られる二人。また、黒木の恋人・美和子も優奈の存在に気づき、ある計画を企てる。そんな中、黒木は過去との決別のために、長い間音信不通であった母との再会を果たすため、金沢へと向かう。この三人の関係はどこへ向かうのか?
夜明けのひかり (24話)
着古した青いセーターの上に白い割烹着を来た人の良さそうなその人物――坂井志乃は、入りまっし、入りまっし、と満面の笑みで黒木を手招きし、自宅へと招き入れてくれた。三階建てのこの家屋は、二階に居間があり、テレビの音が階段の上から聞こえて来ていた。ちょうど昼食の支度でもしていたのだろうか、室内には良い香りが漂っていた。志乃は、思い出したように黒木を振り返って言った。
「お昼食べたけ?ちょうど、いなりうどんこしらえたさけ、食べて行きまっし」
「あ、いえ、少し顔を見たかっただけですから……お構いなく」
志乃は黒木の言葉に構うこともなく、にこにこと笑いながら、二階へと促した。
「ほ~んな、すぐ帰るなんて。いんぎらぁっとしていくまっし」
志乃に背中を押されるがままに、黒木は二階へと上がった。小さなこたつの上に、文庫本と老眼鏡が置かれていた。志乃は手際よくそれを戸棚の上に片付けテレビを消すと、黒木を座布団の上に座らせた。昼時に顔を出して気を遣わせてしまったかもしれない。黒木は腰を浮かせかけたが、志乃はお構いなしにさっさと下へと降りて行ってしまった。腰こそ老齢のために曲がってはいるが、そのしっかりとした様子は、かつて茶屋の芸妓を束ねていた女将である志乃らしく、黒木は思わず感心してしまう。座布団に座りなおすと、久しぶりに訪ねた部屋を見回した。
「ここは変わっていないな……」
黒木はぽつりと呟いた。狭い室内には、黒檀の古めかしいたんすが一つと、テレビ台、それに茶器などを入れる小さな戸棚が一つあり、部屋の真ん中にこたつが置かれていた。階段の手前、部屋の入口にある柱にかかった年季の入っていそうな柱時計も、以前と同じものだった。何度も修理に出しているのだろうか、その古ぼけた時計の針は、今でも正確に時を刻んでいた。
黒木はふと戸棚の上にある写真立てに目を留めた。懐かしい、写真だった。黒木はふと目を伏せ、そしてまた写真を見据えた。そこには、若かりし頃の志乃と……赤ん坊を抱いた、母、がいた。母は、嬉しそうに微笑んでいた。
「い~い写真わいね。懐かしいがいね」
はっと顔を上げると、志乃がにこにことお盆を手に部屋に入って来た。ぼんやりしていたせいか、志乃の足音にも全く気付かなかった。志乃はてきぱきとどんぶりを黒木の前に置き、自分の分を向かいに下ろすと、どっこらしょ、と腰を下ろした。薄揚げと葱がのったうどんのどんぶりからは、ふわりとだしの香りが漂い、とても美味しそうだった。
「これは、美味しそうですね。……懐かしいな……」
思わず呟くと、志乃はあはは、と豪快に笑った。
「そう言われっと嬉しいわぁ。遊びに来ると、よう食べとったがいね。いつも、詩織んとこの優奈ちゃんもつんだって来たさけ、賑やかで楽しかったげん」
志乃は懐かしそうに眼を細めた。そうだ、優奈はいつも自分のあとをついて歩いていた。志乃のところにも、何度も二人で遊びに来たのだった。お昼に来ると、いつも志乃はこうして、この、温かいうどんを出してくれたのだった。志乃は箸とれんげを黒木に手渡しながら、おあがり、おあがり、と言って自分もどんぶりに箸をつけた。黒木はいただきます、と手を合わせるとだしを一口飲んだ。湯気と共に、優しい、懐かしい味が口に広がった。志乃はうどんを口に運ぶと、顔を上げて言った。
「靖子は……お母さんは、そくさいけ?」
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