周子のマンションで遅い昼ご飯を食べると、黒木は街へ出た。周子はバスローブ姿で玄関先まで見送ってくれた。玄関を出ようとする黒木に抱きつくと、また来てね、とキスをした。洗い立ての髪の、いい香りがした。

冬の初めに差し掛かった空は分厚い雲で覆われ、都会のビル群をどことなく寂しく彩っていた。頬を撫でる冷やりとした風に、思わず身震いをする。そろそろコートが必要になってきたな……。黒木はそう思いながら、ふと街行く人々を見た。六本木の交差点は、週末遊びに来た人々で混雑していた。雑踏の中を、軽やかに冷たく、晩秋の風が通り抜けて行く。黒木は、雑踏を掻き分けながら、地下鉄の階段を降りて行った。

母に――金沢にいる母に会わねばならない。母に会うのはいつ以来だろうか。大学進学のために上京して今年で十三年になるが、その間、一体何度会いに行ったのか、記憶すら定かではない。記憶の中の母の姿は、いつまでも変わっていなかった。

母に会うと思うと、鉛を飲み込んだような重苦しさが胸に広がる。――こんな年になってまで。黒木は胸を覆う重苦しさに、ふと自嘲気味に笑った。母と――そして、亡き父に対する複雑な感情が、まだ自分の奥底にわだかまっているのかと思うと、全く自分が愚かに思えてくるのだった。

地下鉄を乗り継ぎ自宅へ着くと、フライトの手配をした。羽田から小松空港へは一時間程で着く。幸い、空席が見つかった。到着時刻に合わせ、レンタカーの手配もしておいた。パソコンの電源を切ると、黒木は深く息をつき椅子の背もたれに体を預けた。黒い革張りの椅子が、ギィ、と小さな音を立てる。壁にかかった時計は、午後四時過ぎを指していた。コーヒーでも入れて来ようと席を立った時、ピンポン、というインターホンの音と同時に、玄関ドアの開く音がした。リビングのガラス扉の向こうに現れたのは――。

「美和子……」

白いツイードのスーツに身を包んだ岩薗美和子が、にこやかに微笑んで入って来た。

「ふふ、元気そうね、聡志」

「……」

美和子は特にこちらの返答を待つこともなく、リビングのソファに小さなハンドバッグを置いた。肩に羽織った毛皮のついたケープを外す。

「急に寒くなったわね。あら、何を突っ立っているの?コーヒーを入れるけど、飲むかしら?」

黒木は思わず閉口した。美和子は、見るからに上機嫌だった。ここ数か月、見たことがないほどに。一体何で彼女が喜んでいるのか知らないが、少なくともその機嫌の良さの原因が自分でないことだけは分かる。美和子にはここ数週間、会ってもいなかった。電話すらしていない。最近は美和子と諍いばかりだった黒木にとって、彼女のこの機嫌の良さは却って不気味だった。


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