雨が、降っていた。


 白井優奈は、水玉のマグカップを両手で包み込むように持ち、ベッドの端に腰掛けた。アールグレイの紅茶のいい香りが、温かな湯気と共に立ち上り、優奈の頬をそっと温める。


優奈はちら、とカーテンを開けた。窓の外は、冷たい雨・・・。街はこんな時間だからか、すっかり寝静まっている。雨音が、冬の夜の底をもっと冷やしていくようだった。


黒木とは、あれ以来-あの、数ヶ月前の雨の夜以来-会っていなかった。黒木は今・・・何をしているのだろうか。優奈はぼんやりと、窓を白く覆う水滴に指を滑らせた。優奈の指の跡をなぞるように、細い透明な線が窓に浮かび上がっていく。指先に、冷たいガラスの感触。そこから冬の夜気が静かに流れ込み、優奈の体を透明にしていくようだった。優奈はそっと目を伏せる。黒木からの最後の電話はいつだったろう?もう・・・何日も、前。瞳を閉じると、あの顔、あの声が・・・すぐ目の前、耳の奥で、感じられるのに・・・。


優奈はハッと目を開ける。私・・・今、一体何を考えていたのだろう・・・。ふと窓に映った自分の顔に気付く。とても、寂しそうで・・・恥ずかしかった。さっとカーテンを閉じる。カップを小さなテーブルに置き、ベッドに体を投げ出す。フカフカの白い枕の上で、イヤイヤをするように小さく頭を振った。


「うーん、違う、そうじゃなくて・・・ああ、もぉっ!」


肩まで伸びたサラサラの髪が、ぐしゃぐしゃになるほど頭を掻きむしった。こんなはずじゃ、なかったのに。一体、いつから・・・?優奈は自分に言い聞かせるように大きくため息をつくと、ベッドに体を起こした。テーブルに無造作に置かれていた携帯電話を手に取る。着信は、ナシ。メールは・・・チェックしない。なぜならば、黒木は、用件があればわざわざメールを打つようなことはしないから・・・。


優奈は、そっと、黒木の番号を呼び出した。「黒木聡志」の文字。その下に表示される、11桁の数字の羅列。たったそれだけで、トクン、と鼓動が早まるのを感じる。以前なら・・・こんなことは、なかった。ただ、話をしたい時に、気軽に通話ボタンを押して、兄ちゃん、と呼びかけることが出来たのに・・・。


優奈は黒木の番号を表示したまま、携帯電話を大切そうに抱きかかえた。まるでそこから、黒木のぬくもりを感じ取れるかのように・・・。その時、ピリリリ、と不必要に大きな音で着信音が鳴った。優奈の心臓が、跳ね上がる。驚きのあまり、携帯を手から取り落としそうになりながら、慌ててディスプレイを見た。そこには、黒木ではなく、ある別の名前が表示されていた。優奈はつい、怪訝な顔になる。一体、何だろう・・・?こんな時間に・・・。暫しの躊躇のあと、ためらいがちに通話ボタンを押す。


「・・・はい」


受話器の向こうで、ざわめきと共に、酔った男の声がした。


「あ、起きてた?オレオレ、前島!前島裕明!」


 その酔った声に、優奈は軽い嫌悪感を覚えつつ、密かにため息をつくのだった。


Next