愛と心配は違う | 量子場調整®☆自由に生きるためのザ・最終手段!

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今回の地震に関連して、2013年9月に書いた記事を再アップいたします。


観察術講座でいつもご紹介しているのですが、
心配の波動はとっても重いのです。

それこそ呪い?かというくらい重たい波動が心と体を支配し
呪縛されていきます...


心配する対象ばかりか、心配している自分自身、そしてその場全体にさえも..


集合的な意識の影響は大きいので
状況がどうあろうと、心配するよりも
「大丈夫」だという信頼の思いを!!






人を愛するということは....

一言で語り尽くせるものではありません。



愛と心配をうっかり混同してしまうことは、良くあります。




両者とも、相手を意識するという点では同様です。

ただし、その意識のベクトルが異なるのだと思います。



愛は、相手の力を意識すること(観察すること)という働きであり

心配は、相手より自分の力の方を意識すること

という働きに思えませんか。




心配は、心配しているということで、相手を思っているようですが、

実際は、相手の力を信頼していませんよね。




それは、相手に対する介入、干渉であり

ときとして相手の力を奪うこと、奪いコントロールすること

そのことによって、自分の力を相手にわからせようとしてしまう。



相手に自分をわかってもらおうという働きで

相手をわかるという要素が欠落している....



よって、それは愛ではない

のだと思います。




これは、親子関係などに、よく見られる現象ですね。



母親の子供を想う気持ちが高じるゆえに、

もちろんそれは悪気はなく、

もちろんそれは正直な思いなのだけど

子の自己決定権や子の力を信じられないと

子を無力化させてしまうことになります。



子供の行き場を失ったエネルギーは、子供自身に及んだり

他の人に向かったり、あるいは世代を超えて

自分自身の子に向かったりということは

実は、良くみられる傾向であります。




相手に関心を寄せるという点では共通していますが、

ちょっと道をそれると、怖いことになりますね。




愛への軌道修正は

自分自身の観点を、拡大させることからです。




それには、まず自分の愛する対象にどのような意識で接しているか

気づくことからですよね。




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