参考図の△4四銀が名手といわれている。
ぼんやりした手である。
巻末棋譜を見てほしい(※棋譜省略)。大山陣は無防備都市になっていて、升田の角がブンブン飛び回るのを黙って見ているしかなかったのだ。しかも何と▲7七歩と打たされてしまう。屈辱的な手だ。これが「作戦負け」の正体である。
どうしてそうなったのか。升田は、
「△4四銀の一手によって先手のあらゆる攻め筋が封じられた。しかも私の陣形には寸分のスキもない。先手が▲4五歩と突けば、喜んで△3三銀と戻り、3七の桂が絶好の標的となる」と解説している。
アインシュタイン博士が「特殊相対性理論」を発表した時に、ある新聞記者が「素人にもわかるように説明してほしい」と言った。
「説明しても、わかる人は世界に3人しかいないだろう」という返事だったとか。
将棋の難しい手に出くわすといつもこのエピソードを思い出してしまう。
だが、今の社会はあまりにも「わかりやすい話」「やさしい遊び」に満ち満ちて来て、つまらない気がする。小さい子供さんを持つ方に特に考えて頂きたいのだが、恐ろしく難しく見える将棋の手――たとえば升田の妙手、あるいは宗看、看寿の詰将棋――を、自分の頭で、何時間かけても解いてやろうと挑む積極性が人間には必要ではないだろうか。
将棋がコンピューターゲームの一つとしてまた、インターネットで世界中に普及するのは時代の流れであり、それはそれで非常に結構なことだと思うけれど、
「棋は対話」
もまた永遠の真理だと思う。だからこそ私たちは棋譜を通じて升田とも大山とも話ができる。阪田三吉とも、天野宗歩とも、語り合うことができるはずである。
(続く)



