普段は、土日の午後に1~2か月に1回、床屋に行くのだが、昨日は、夏季休暇を取り、開店直後に行った。

 

すいているだろうと8時30分頃に行ったら、すでに大勢いた。

 

見ると、ほとんどが定年後らしき老人ばかりであった。異様な光景である。

 

店員が「老人は朝早いから。」といつもの光景だという。

 

白髪かハゲか。切る部分もわずかなのだが、散髪をすればすっきりするのだろう。

 

そして、待っている間、すべての人がカットだけでなく、

 

髪を洗ってもらうことを希望するのである。

 

「シャンプーしますか。」「はい。」

 

髪を洗ってもらうことが、唯一優越感に浸れる時間なのかもしれない。

 

俺は、シャンプー代をけちって、家に帰って髪を洗う。早く家に帰りたいし。

 

その床屋は、カットだけなら1760円、シャンプーを入れると2090円。

 

店員がたった二人で、10人の定員の客を責任もって、散髪するのだ。

 

一人は髪切る役。一人は髭剃りとシャンプーだ。手際よい。

 

しかし、平日の朝だというのに、なによりこの時間帯は、活気がないのだ。

 

すがすがしさがない。死んでいる。時間が止まっているようだ。

 

しかし、老人にとっては、仕事もなく、毎日が退屈なだけで、散髪は、唯一楽しみの時間なのだ。

 

何時間待たされようが、平気である。

 

そう言えば、図書館も開店前に、老人が並び、先を争って新聞を取り合うと、聞いたことがある。

 

誠に哀れである。

 

俺も、将来この老人どもの仲間入りするのかと思うと、ぞっとした。

 

だからと言って、「働きたいか」と問われたら、「ノー」である。

 

なにか生きがいを探さねば!!