大阪奥河内 叡福寺② 上の太子・桜の下に眠る千四百年すぎて

 

聖徳太子自らここを永眠の地と定め、生前に築いたとされる御廟がある。太子は生母・間人皇后と妃・膳皇女とともに、三骨一廟のかたちで合葬されている。

「聖徳太子廟」の東側「見真大師堂」。親鸞聖人の坐像が祀られており、親鸞聖人自身が刻んだものとされている。さらに近くに「弘法大師堂」がある。

最澄の一派である親鸞聖人を祀っている「見真大師堂」と弘法大師(空海)を祀っている「弘法大師堂」が同一の寺域の近い位置に建てられているのが興味深い。日本仏教の祖ともいうべき聖徳太子の墓所があることから、親鸞・空海・日蓮など新仏教の開祖となった僧たちもこの寺に参籠したのだろうか。

 


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古い石碑「右 をかでら・つぼさかでら・たいまでら道」でしょうか。
 


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この辺りから日本最古の国道「竹内街道」が二上山の麓を通って奈良につながっている。飛鳥に本拠地があった聖徳太子の属する蘇我氏がここを通って物部氏の大阪へ出てきたのだろう。戦になって物部氏は蘇我氏に敗れることになる。

 


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「聖霊殿」 祀られている本尊は聖徳太子十六歳の等身像といわれており、この像は宮中にあったものを文治3年(1187年)に後鳥羽天皇により下賜されたものという。
 


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「金堂」には本尊の如意輪観世音菩薩が祀られている。

 


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如意輪観音にお詣りする時は、御真言「ヲンハンドメイ シンダマニ ジンバラウン」と唱えるそうです。

 


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「金堂」は「山門」と「聖徳太子廟」を結ぶ線の西側で、「多宝塔」の北側に当たる場所に建てられている。

 


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「多宝塔」
承応元年(1652)、江戸の三谷三九郎によって再建。立派な木材を使用し、近世では正統派に属する端正な多宝塔として、昭和52年国の重要文化財に指定される。


 

次週は 大阪奥河内 叡福寺西方院 ③ 上の太子・桜の下に眠る三人の乳母たち です・・・