大阪奥河内 叡福寺 ① 上の太子・王家の谷で桜の下で眠る聖徳太子

 

磯長山 叡福寺 (しながさん えいふくじ)
聖徳太子の御廟を守るため建立された寺院で、大阪では「上の太子」の名で知られる。境内に太子自ら造営した御廟(円墳)がある。 大阪府南河内郡太子町太子。地名まで聖徳太子にちなんでいる。上山を背景にした緑につつまれた寺院で、春には桜が咲き乱れる。

奈良の飛鳥奈良の飛鳥京からは二上山麓を通る日本初の国道竹の内街道で結ばれている。近津飛鳥と呼ばれ日本版王家の谷がある。 

近鉄南大阪線「上ノ太子駅」から金剛バス「太子前」下車


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南大門は天正2年(1574年)の兵火で焼失したようであるが、慶長年間に再建され、更に、昭和33年(1958年)に再建築されたといわれている。
 


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「南大門」

 


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「南大門」から真っ直ぐ奥に「聖徳太子廟」があり、山門と廟前にある「二天門」との間を遮っている建物は何もない。
 


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南大門を入って直ぐ左側の「多宝塔」。
現存の「多宝塔」は承応元年(1652年)に建てられたようである。内部には釈迦尊像や大日如来像等が安置され、柱には四天王像が描かれているというが非公開。

 


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「二天門」をくぐると「聖徳太子廟」が見える。廟の背後は磯長山が迫っており、廟は山の丘陵を利用して造られている。

 


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廟は宮内庁の管轄になっている。

太子は生母・間人皇后と妃・膳皇女とともに、三骨一廟のかたちで合葬されている。三骨一廟の形態は、阿弥陀三尊の思想から生まれたと伝えられる。
正面扉の上には阿弥陀三尊の木彫りの額がかっている。この額は叡福寺の玄雅が延享3年(1746年)に寄進したものとされ、三骨一廟の意味を表しているという。

 


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「二天門」から見渡す境内。遠くの丘の桜まで一望できる隠れた桜の絶景ポイントです。

 

次週は 大阪奥河内 叡福寺② 上の太子・桜の下に眠る千四百年すぎて・・・