京都 大報恩寺千本釈迦堂 ② 京の師走の名物行事 成道会と大根炊き

 

大報恩寺という名称であるが、一般的には「千本釈迦堂」という通名で親しまれている。江戸時代には遺教経寺と呼ばれたこともあるが、千本釈迦堂の名称は七百数十年前、当寺第二世如輪上人がはじめられたもので意外に古く、兼好法師の徒然草にも千本釈迦堂として、この寺のことが記されている。

大報恩寺(千本釈迦堂)は、用明天皇が勅願の道場として開創されたと伝えられるが、その後廃滅に帰していたのを、求法上人義空によって再建されたものである。



宸殿造りの本堂は、応仁の乱をはじめ幾多の戦役にも難を免れた旧京都市内で最古の国宝建造物である。



本堂の説明パネルでは、当山は今から790余年前鎌倉初期、安貞元年(1227)に奥州平泉の藤原秀衡の孫にあたる求法上人・義空により開創された寺である。


上人は15才にて仏法を志求し、相州鎌倉に於いて修行し、次いで19才にて比叡山に登って澄憲僧都に師事し、天台密教を会得した。

 

その後10数年を経て、猫間中納言光隆卿の家卒、岸高により、広大な土地の寄進を受け、ここに苦難の末、本堂をはじめ諸伽藍を建立した。


本堂は創建当時のままの姿をなし、応仁の乱(1467~1477) 東軍に細川勝元他、西軍に山名宗全他、11年間続いた戦乱にも、唯一遺った建物で、京洛(旧京都市内)最古の建物として、国宝に指定されている。 柱には刀槍の傷跡が残っている。



屋根は、檜葺き、純和風の寝殿造り、堂内部には、内陣外陣区画の鎌倉初期の遺構ををとどめるもので、内陣に、内々陣四天柱のある釈迦念仏の道場、正しくは、大報恩寺、ご本尊は釈迦如来(秘仏)をまつる。


かつては境内地、東面が千本通りにあったことから千本釈迦堂の通称名が、古くから親しまれてきた。

 

京の師走の名物行事 成道会と大根炊き

「成道会」は、お釈迦様が修行中に悪魔の誘惑に負けず、12月8日の夜明け前に明星出現と同時に「さとり」を開かれた事にあやかって、それから後、法要の度に、4本の大根を縦半分に切って8本とし、切り口に釈迦の種子(梵字)を書いて供え、参詣者への「悪魔除け」とされました。

その後「悪魔除けの大根」は、他の大根と一緒に炊き上げて、参詣者に振る舞われたのが「大根炊き」のはじめと言われています。


今に伝わる「大根炊き」には、「諸病、悪病」を取り除き、健康増進を願う信徒の皆さんによって継続され、12月7・8日の両日には法要を行い、味付けして煮込んだ大根を皆さんと共に頂きます。

 

次週は 京都 大報恩寺千本釈迦堂 ③ 福笑い 夫婦円満 おかめ物語 です