闇への不安や恐れは、古代や平安の人々にとっては根強いものでした。
恋人との逢瀬を楽しむ夜の闇はまた、
物の怪や鬼の出る恐ろしい世界でもありました。
闇や夜の不安はしばしば歌に詠まれ、
そこでは枕詞の「ぬばたま」がよく使われています。
ぬばたまの語源、烏羽玉はヒオウギの実のこと。
その黒さから、闇や夜の暗さを強調し、
修飾する枕詞となり、幅広く用いられました。
「古今和歌集」の「むばたまのやみのうつつはさだかなる
夢にいくらもまさらざりけり」は、「源氏物語」の「桐壺」の帖で、
桐壺更衣を亡くした帝の悲しみを表す文章でも引用されています![]()
ヒオウギの実。
ヒオウギは、葉が檜扇を開いたように見えることから、
その名がある![]()
「桐壺」の帖では、
上記の歌を引用して「闇の現になほ劣りけり」と
桐壺帝の悲しみの深さを表している![]()
「うつせみ」とは儚くて虚しきもの
万葉集の時代にはこの世の人、現世をさしていた「うつせみ」ですが、
時が下るにしたがって、意味合いも変わってきます。
仏教が伝わると同時に人の世ははかなきもの、
そして人もはかなく仮の存在だという無常観を伴うことばになり、
さらに平安時代になると「うつせみの世」が無常の世をさすようになります。
文字も「空蝉」が当てられ、蝉の抜け殻のようにはかない、
という意味が強くなったのです。
和歌では、空蝉と「むなし」のことばを一緒に詠んで無常の世を嘆いてみたり、
また恋歌では片思いの苦しみを表したりとたびたび使われました![]()
夏の木立には、
蝉が残していった抜け殻を見ることが出来る。
脱皮した蝉の余命はおよそ1週間。
夏の盛りに鳴き、短い命を終える![]()
「なぞなぞ」は優雅なことば遊び
あまり外出しなかった平安の女房達は、
部屋の中で様々な遊戯を楽しみ、
時間をつぶしたようです。
そのひとつになぞなぞがありました。
問いかけの時に「何ぞ何ぞ」ということから、
「なぞなぞ」という名前になったと言われます。
左右に組を分け、互いに問題を出し合って勝ち負けを競いました。
現在のなぞなぞとほぼ同じですが、
問答に和歌の掛詞などを用いるところが平安流。
例えば、「織物のさまざま」というなぞなぞでは、
あやめが種々あることから、「あやめ草」となります。
「枕草子」にはなぞなぞ合わせの時、答えられなくて悔しいだの、
負けさせようと仕向けるなど一生懸命な女房の様子が描かれています![]()
平安時代のなぞなぞ一題。
「履物並べたるものに祈りの法師は?」
答えは「くつくつ法師」、
ツクツクホウシの古語![]()
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