誰が言ったか知らないが、言われてみれば確かに聞こえる「空耳の解明」のお時間がやってまいりました。
さて、「空耳」っていったいなぜ起こるのでしょうか。
(参考URL:
上記のURL(「空耳アワー」にみる音の類似と弁別素性)によると、『人間の言語全般に共通する音の構成要素(=弁別素性)が関係している』ということです。
例えば、「パン(paɴ)」と「バン(baɴ)」は、それぞれ異なった意味を持っているので、この区別をしている『p』と『b』はそれぞれ、日本語において独立した音素になります。その違いをつきつめていくと、『有声』か『無声』という違いにいきつきます。
また、『p』は両唇音か歯茎音かという点において『t』と対立しています。
このように、音素をその特徴に細かく分解したものを「弁別(的)素性」といいます。
「弁別(的)素性」は、音韻論的構造のもっとも基本的な単位であり、それ自身が表す分節音の自然類に対応して、
・主要音類素性:主要な音のクラスを表す
・喉頭素性:声門の状態を表す
・調音性素性:調音様式を表す
・調音位置素性:調音位置を表す一価の素性
の4つに分類することができます。
「弁別(的)素性」は、人間が音に関して共通して持っていると考えられており、基本的に言語を通じて共通しているとされています。
人間の脳は、「はっきり聞き取れる時」は言葉を聞き取る部分だけが活動しており、「空耳が生じる時」は言葉を聞き取る部分と、言葉を作り出す部分が活動しています。
ですので、「空耳」は、脳が都合に合わせて「補う」という人間の習性から生まれるということです。
A)By reaching inside,reaching inside
B)わるいチンゲンサイ、いいチンゲンサイ
この場合、Byの『B』とわるい(WARUI)の『W』が音声的に類似しているため、はっきりと聞き取れない、または間違って聞き取った場合、『空耳』が起こるということです。
ちなみに
「わ〇しはカレーをたべ〇した。」
何が書いてあるかわかりますか?
「わたしはカレーをたべました。」と読めると思います。
では、こちらはどうでしょうか?
「こんちには みさなん おんげき ですか? わしたは げんき です。
この ぶんょしう は いりぎす の ケブンッリジ だがいく の けゅきんう の けっか
にんんげ は もじ を にしんき する とき その さしいょ と さいご の もさじえ あいてっれば じばんゅん は めくちちゃゃ でも ちんゃと よめる という けゅきんう に もづいとて わざと もじの じんばゅん を いかれえて あまりす。
どでうす? ちんゃと よゃちめう でしょ? ちんゃと よためら はのんう よしろく。」
意外と読めますよね。
この場合は『空目』と言います。
『空目』も脳が都合よく言葉を補うことから生まれます。
その『空目』が邪魔する場合もあります。
それがこれ、日本人だけ読めないフォント『Electroharmonix』です。
「W」は「山」、「*」は「米」にしか見えませんよね。
人間って面白いですね。
参考URL: