皆さま

 

皆さまは神様をどのような存在だとお考えですか。

 

どんな質問にも答えてくださる、助けてくださる。そう思っていませんか?

 

いいえ、違います。

 

人間には考える能力があります。自分で考え、判断して、ある程度努力もしないと神様は助けてくださいませんし、答えてもくださいません。

 

何でも質問さえすれば教えてもらえる訳ではありません。また時機やタイミングもあります。

 

あなたの努力が足りないと判断したら、何も話さないのが真の神さまなのです。

 

自分で考え、判断し、行動することが基本です。すべてを神さまに任せるのではありません。

 

人生とは魂の修行です。

 

幸せになる為に修行をさせられ忍耐力や抵抗力をつける場が現世なのです。

 

魂の抵抗力がつくと周囲からの妨害や災い、障り、祟りさえもはね飛ばすことができます。

 

人間は妬みや嫉妬、怨みや逆恨みなどの感情を持っています。

 

何故でしょうか。

 

それは自分が幸せではないからです。

 

人間とは勝手なものです。自分が人にしてあげた事は忘れません。

 

口では綺麗事を言っても腹は違います。「可哀想に、大丈夫ですか」と泣く人間でも腹の中では「ああ、自分でなくて良かった」と思う人もいます。

 

人間は2つの顔を持っているのです。

 

何故、生まれたのか。

 

何故、苦労するのか。苦労をさせられるのか。

 

まだ苦労が続くのかなどと自分の運命を呪った人もいます。

 

神も仏も信じられないと投げやりになった人もいます。

 

ですが、その経験が実は人生の学びに繋がっているのです。

 

魂の器を大きくする為と割れないようにする為に苦難の学びをさせられます。

 

神さまはわけへだてはされません。

 

難儀苦労を乗り越えた人間には手を差し伸べます。

 

身勝手な人間には罰という試練を与えます。

 

自分は関係ないのに「障り」や「祟り」、「因縁」(因縁)に苦しめられた人間にも、そのような境遇になったのは意味があります。

 

家族や愛する者が被害が及ぶのを防げるのはあなたしかいない、と神さまから指名されたのです。

 

苦労したぶん、家族や子孫、愛する人に起きる不幸もなくなるのです。

 

難儀苦労も意味を持ちます。

 

ですが、妬みや嫉妬、逆恨みほど無駄なものはありません。

 

万物は全て自然から生まれ、自然によって生かされています。私たちの行動も言葉も自然から学び教わったのです。

 

古代の人間は、まだ言葉を知らない時、身振り手振りだけではなく、テレバシーを使っていました。

 

妬みや嫉妬、逆恨み、争いを知り、霊的な感受性が低下したのです。

 

努力や助け合い、許し合う気持ちを失えば霊的な力は薄れていきます。

 

簡単なようで難しいですね。

 

 

自分の身の回りで起こる出来事には、良いも悪いも全て意味を持ち、この世に偶然はない。

 

この世に生まれた意味、生きる意味。難儀苦労がのちのち守りとなり自分自身に「力」が備わる。

 

身勝手な言動を控え、自然に逆らわず自然に従いなから生きて行くこと。

 

最近、このようなメッセージが降りました。

 

 

愚痴や不満ばかり言いながら暮らすよりも、難を避ける方法を考えれば自然があなたを守ってくれます。

 

天の気、地の気が乱れ、災害が発生しても、日頃から天と地の様子をよく観察していれば、災厄から身を護ることはできます。

 

今こそ、「自然力」を身につける時期です。自然=神さまという法則を信じて行動して下さい。

 

 

ところで、「気」とはどういうものでしょうか。

 

気は目に見えないエネルギーです。

 

プラスとマイナス。陰気と陽気。それが陰陽になり日の出、日の入り、自然が生まれるのです。出産も満ち潮と引き潮に分かれます。

 

常に2つのエネルギーが補完しあいながら自然のバランスが成り立っています。

 

陰極まれば陽となり、陽極まれば陰となる。

 

何事も極端な方向に行き過ぎると全く逆の反応が出るように、自然の気は移り変わるのです。

 

気には大きく分けると、3つの気があります。

 

天の気=時間、空間、湿度。地の気。人の気があります。

 

それだけではありません。良い霊から発する良気。悪い霊から発する悪気。

 

これら5つの気の中に私達は生きています。

 

 

皆さまは祝詞をどこで唱えますか?

 

祝詞は神さまと繋がる言霊です。では神さまと繋がりたいのは誰でしょうか?神さまと繋がる場所は神棚や神社だけでしょうか?

 

自分の目の前に神様はいらっしゃいます。自分の好きな場所や癒される場所が第2の神社になるのです。

 

あそこがパワースポットだと聞けば、あちらこちらへ行く人が増えました。本物のパワースポットでも人が集まれば、パワースポット=神の聖地が人の気で濁ってしまう場合もあります。

 

穢れた気から神様は離れます。居なくなるのです。

 

また気のエネルギーは変わります。気のエネルギーが濁れば、悪霊が寄ってきます。悪が悪を呼び、パワースポットではなく心霊スポットになるのです。

 

たとえ有名な寺院や神社でも。神さま・仏さまが鎮座しているなら浄めの力も働きますが、あまりにも人が集まり、宝くじ当選や、お金儲け(クレクレ参拝)、身勝手な願を掛ければ、神さまも嫌になります。その場所から去りたくなります。

 

不安を持つなら行かないのが無難です。神さまは時間も距離も関係ない存在です。いくら建物が立派でも神さまは建物には拘りません。

 

たとえば箱の上にミカン1つ置くだけで、自分の気持ちさえあれば立派な仏壇に変わり、神棚にも変わるのです。

 

心と気持ち次第で自分だけの神社を持てるのです。

 

神様は自分の心の中に存在するからです。

 

だから、誰にも汚されず邪魔されない神様と繋がる場所を持ちましょう。

 

 

・自分の好きな場所

 

・天候が悪くなっても困らない場所。雨も天の恵みです。雨を嫌ってはいけません。

 

・集中して読書が出来るような静かでくつろげる場所があれば、そこが良い場所に変わります。これは祝詞を奏上するのに最善の環境という意味でもあります。

 

・自然がある場所=植物、樹木、側か近場に水に縁がある場所。川や海、池。山なら湧水が近場にあれば構いません。水は浄める効果があり生命力を与えます。

 

・朱色か赤色のハンカチや、帽子、マフラーやスカーフなど朱色か赤色の物を持つ。朱色は鳥居の役目をし魔除けの効果がある色です。

 

 

 

次に注意する事です。

 

近場に寺や墓、供養塔、処刑場や刑務所、ゴミ捨て場、トイレの横などの場所は避けて下さい。

 

祝詞集は必ずカバーをしておく。周囲の人間に見られても分からないようにしましょう。人の気を受けてしまうからです。

 

祝詞はいつも唱えるもので構いません。段々と安らぐ気を感じたら心身が一体化している証拠です。

 

眠くなるのも良い気を受けたので深呼吸をして下さい。体が軽くなったり温かみを感じれば神さまと繋がった証拠です。

 

逆に体に異変が起きた場合、マイナスの悪気、悪霊、障りや因縁が嫌がって苦しんでいる証拠です。

 

神社に参拝に行くか、もしも行けない人は家に帰り、お風呂に入り、もう一度身を浄めて下さい。

 

何度も同じ事が起きるようなら霊査が必要です。

 

「悪」は自然力、祝詞、鳥居の朱色を嫌います。基本を覚えておきましょう。

 

麗月 謹上再拝

 

 

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